本多忠勝像と岡崎城

 NHK大河ドラマ『どうする家康』で、新しい歴史解釈を取り入れながらの演出が話題になっている。第44回「徳川幕府誕生」では、関ヶ原の戦いでの勝利から3年後の1603年、家康は征夷大将軍に就任。江戸幕府を開くが、豊臣家を慕う大名たちはまだまだ多く……。今回の見所について、『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

ドラマ終盤で再び活かされた「家康の母の暴走」

 大河ドラマ『どうする家康』も、いよいよ終盤にさしかかった。物語上で重要な役割を担ってきた人物たちが次々と立ち去っていくのは仕方がないこととはいえ、なんとも寂しい。今回の放送回でも、家康に影響を与えた人物たちが、この世から去る場面が続いた。

 冒頭では、松嶋菜々子演じる家康の母・於大の方が、和久井映見演じる秀吉の正妻・寧々と初対面を果たすと「家康の生まれた干支」について、何だか二人で盛り上がっている。

 於大の方は寧々に「この子は寅年生まれの武神の化身じゃ、とデタラメを言って一同を欺きましてな。ガオ~、ガオ~と」と、家康の生まれ年の干支を、みなの前で偽ったというエピソードを披露。何気なく「家康、そなたはいつ頃まで寅と信じておったんだったかのう?」と問いかけると、家康は「今の今まで、信じておりました……」と、半ば呆然としている。

 それも無理はない。放送第2回のラストでは、騙し討ちに遭った角田晃広演じる松平昌久に対して、家康はこう言い放って家臣たちを奮い立たせたのだ。

「わしは寅の年、寅の日、寅の刻に生まれた武神の生まれ変わりじゃ!」

 それにもかかわらず、寅年というのは母の嘘で、実際は兎年だとわかったのだから、家康としても赤面したことだろう。

 家康が生まれた年は、寅年の「天文11年」か、兎年の「天文12年」かで説が分かれている。今回のドラマでは、そんな「諸説あり」を逆手にとって、家康の母・於大の方が「兎などいけませぬ。狼に狩られてしまいます」として、本当は「天文12年」生まれなのに「天文11年」に前倒しをして、生年をごまかしていたという設定にしている。

 家康の生まれ年が1年違いで見解が分かれており、かつ、家康の誕生日が年越しに近いことに着目した巧みな脚本だが、ドラマの第2回で展開されたそんなストーリーが、第44回となる今回の放送で、再び生かされることとなった。