「ハック」「ハッキング」とは、経済、政治、社会などさまざまなシステムに対して、ルールの抜け穴を利用して自らの有利になるようにすることだ。一般的にコンピューターシステムでは脆弱性をふさぐパッチが作られる。だが、経済、政治、社会といった社会的システムでは、標準として常態化することの方が多い。公平性をくつがえすようなハックが常態化するというのは、裕福な個人の権力が無理を押し通すという図式にほかならない。(JBpress)

※本稿は『ハッキング思考 強者はいかにしてルールを歪めるのか、それを正すにはどうしたらいいのか』(ブルース・シュナイアー著、高橋聡訳、日経BP)より一部抜粋・再編集したものです

「ハッキング」はシステムの裏をかくこと

 本書では、さまざまなシステムについて、それがどのように破綻するか、どうすれば強靱になるかを理解しようとするときに、ハッキング的な考え方が有効だと伝えることをめざしている。

「ハック」とは、想定を超えた巧妙なやり方でシステムを利用して、システムの規則や規範の裏をかき、そのシステムの影響を受ける他者に犠牲を強いることだ。

 私の考えでは、コンピューターシステムに対するハッキングから、経済、政治、社会の各システムに対するハッキングまでは、ほんの一歩の差しかない。どのシステムも、規則の集まり、ときには規範の集まりにすぎないからである。コンピューターと同様、ハッキングに対しては脆弱なのだ。

 ハッキングは、システムを標的とし、システムを破ることなく、システム自体の裏をかく。車のウィンドウを割り、配線を直結してエンジンをかけるのは、ハックではない。キーレスエントリーシステムを欺いてドアを解錠し、エンジンをかけたら、それがハックだ。

 この違いに注意してほしい。ハッカーは、ただ被害者を出し抜くだけではない。システムの規則に存在する欠陥を見つけるのである。許可されていないわけではなく、許可された範囲のことをやっているにすぎない。システムを出し抜いているのだ。ということは、結果的に、システムの設計者を出し抜いていることになる。

 ハッキングは、システム思考から自然に出てくる所産だ。システムは、税制、法律、行政、金融制度など、私たちの生活の至るところに存在する。そのシステムが複雑な社会の大部分を支えており、社会が複雑になるのに応じてシステムも複雑になりつつある。そうなると、システムの隙を突くこと、すなわちハッキングもかつてなく大きな意味をもってくる。

 極論すると、システムを十分に深く理解すれば、ほかの人と同じように規則に縛られてふるまう必要はなくなる。規則に存在する欠陥や不足を探せるようになる。システムによって課された制約がはたらかないケースがあることに気づく。そうなったら、システムをハッキングするのは当然だろう。そして、財力と権力があれば、とがめられずに終わることも多いのだ。