ロシア軍による攻撃を逃れるため、シェルターとなったキーウの地下鉄駅に避難した人々(2022年2月24日、写真:AP/アフロ)

 日本の新聞社のモスクワ支局特派員だった古川英治氏。新聞社を退社してフリージャーナリストとなり、ウクライナ人の妻とキーウに移り住んだ矢先の2022年2月24日、ロシア軍がウクライナへの全面侵攻を開始した。古川氏は、戦禍に巻き込まれたウクライナの人々のリアルな生活と感情を記者として当事者として書き留めた。自由と民主主義を守り抜こうとする戦時下の民の貴重な記録『ウクライナ・ダイアリー』(KADOKAWA)から一部を抜粋・再編集してお届けする(第1回/全3回、JBpress)

私は当事者だ

 ロシアによるウクライナ侵攻開始の翌日、2月25日の午後5時から28日の午前8時まで外出禁止令が発表された。すでに非常事態が宣言され、18歳から60歳のウクライナ人男性は出国を禁止されていた。テレビ各局は「TVマラソン」と銘打ち、抗戦ムードを盛り上げる番組を24時間流していた。

 その間、続々と不穏な情報が耳に入ってくる。

「(首都から30キロの)ホストメリの空港がロシア軍に占拠された」

「ロシア軍が(首都の北に位置する)チョルノービリ原発を占領した」

「2000人のロシア軍空挺部隊が首都に展開しようとしている」