しかし、放出決定直前の「錦の御旗」にどんな説得力があったのか。国と東電が原発事故と廃炉に最後まで責任を負う立場である以上、「原発事故がもたらした汚染水、さらに処理水の問題で漁業者たちは当事者であり、救済するのは当然だ。理論武装し、外堀を埋めるようにして決断を迫るのではなく、まず謝罪をして政治的解決に取り組むのが首相の責任で、その機会を政府がいたずらに先送りしてきたのは不誠実。それが、漁業者たちが反対の姿勢を崩さなかった理由ではないか」。被災地の浜の実情を調べ、福島県地域漁業復興協議会で試験操業以来、漁業者の取り組みに助言してきた濱田武士北海学園大学教授(水産政策論)は指摘する。

 問題解決のため漁業者や国民に協働を求め、不安を抱く近隣の国々を主体的に説得しにゆくのを避けてきた理由の根は、安倍晋三首相(当時)が汚染水流出事故のさなかの13年9月、東京五輪招致の際に世界に宣言した「アンダーコントロール」(汚染水は完全に制御されている)発言にあったのではないか。それが政府を縛り続け、問題の露出を躊躇させたのではないだろうか。

地元漁師が何世代も生きる海

若い後継者が育つ浜で行われた新造船進水式のにぎわい=2018年4月7日、福島県新地町・釣師浜漁港(筆者撮影)

 今野さんが組合長を担う相馬双葉漁協は、小型漁船が大半を占める。「当事者」たる理由は、漁場が浜通りの広野町から宮城県境の沿岸まで、福島第一原発の処理水が放出される海域そのものだからだ。「風評被害が他地方では数年で収まったとしても、地元の相馬双葉の私たちは最後まで取り残される。廃炉まで30~40年も放出は続き、渦中の海域で一生どころか、何世代も漁を続けるのが自分たち。その声をじかに聴いてほしかったのだ」。

 放出が実施されても、「汚染水流出事故の時のように、漁を中止にしない」と漁協内で話し合ったという。経産省は風評で魚介の値が下落した場合の買い取り、冷凍などに300億円、漁業継続のための新漁場開拓や燃料負担増の支援に500億円を盛る基金を新設した。だが、それも全漁連など漁業団体を対象とする基金で「福島枠」などなく、風評が全国で起きれば個々への支援額は微々たるものとみるが、今野さんは前を向く。

「この漁協では原発事故後、水揚げした魚の放射性物質の有無を魚市場の検査室で調べ、50ベクレル/キロを超えた場合は出荷を停止する態勢にある。国の基準(100ベクレル/キロ)より厳しいレベルで安心安全に食べてもらえる魚を出荷してきた。厳しい検査結果が一番確かな安全の証明だ。また苦しい時期につながった消費者との信用が強みになる」

 相馬双葉漁協では震災後に漁船に乗った後継者が約100人もいる。高齢化と担い手減少が悩みの漁業現場では異例である。今野さんら父親世代は津波襲来時に船を沖出しして100隻余りを救い、原発事故にも屈せず海のがれき掃除、漁獲ゼロからの試験操業を貫徹した。

「私の息子も、同世代の仲間たちも苦境の時に船に乗り、後継者になった。地元の海は魚介が豊富で、温暖化で従来の魚が獲れなくなっても、トラフグやタチウオなど新顔の水揚げが増えている。魅力も可能性もある宝の海だ。若い世代が未来まで展望を抱ける支援を、国は真剣に考えてほしい」

 首相にとっては「政治日程」の一つかもしれないが、漁業者には何世代も生きる海を「宝」のまま守れるかどうかの問題なのだ。

寺島英弥
ローカルジャーナリスト、尚絅学院大客員教授。1957年福島県相馬市生れ。早稲田大学法学部卒。『河北新報』で「こころの伏流水 北の祈り」(新聞協会賞)、「オリザの環」(同)などの連載に携わり、東日本大震災、福島第1原発事故を取材。フルブライト奨学生として米デューク大に留学。主著に『シビック・ジャーナリズムの挑戦 コミュニティとつながる米国の地方紙』(日本評論社)、『海よ里よ、いつの日に還る』(明石書店)『東日本大震災 何も終わらない福島の5年 飯舘・南相馬から』『福島第1原発事故7年 避難指示解除後を生きる』(同)、『二・二六事件 引き裂かれた刻を越えて――青年将校・対馬勝雄と妹たま 単行本 – 2021/10/12』(ヘウレーカ)、『東日本大震災 遺族たちの終わらぬ旅 亡きわが子よ 悲傷もまた愛』(荒蝦夷)、3.11以降、被災地で「人間」の記録を綴ったブログ「余震の中で新聞を作る」を書き続けた。ホームページ「人と人をつなぐラボ」http://terashimahideya.com/

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