〈『土偶を読む』ブーム〉を覚えているだろうか? 縄文時代の土偶についての新説を提示した『土偶を読む』(竹倉史人著、晶文社)が2021年4月に発売され、発売日当日にNHKが特集を組んだり、養老孟司氏をはじめとする識者や著名人が絶賛したりしたことで大きな反響を呼び、ベストセラーとなった。その後、サントリー学芸賞を受賞し、子供向けのビジュアル版『土偶を読む図鑑』(小学館)が発売された。
しかし、こうした世の熱狂とは対照的に、『土偶を読む』は、考古学の専門家からほとんど評価されていない。その理由をさまざまな角度から明らかにしたのが、『土偶を読むを読む』(文学通信)だ。縄文時代をテーマにした雑誌『縄文ZINE』の編集長を務める望月昭秀氏が、研究者・専門家9名とともに出版した。
本書は『土偶を読む』を丁寧に検証しながら、竹倉氏の自由な「発想」は批判されるものではないが、「検証」があまりに杜撰で、学問的には説として到底認められるようなものではないと結論づける。さらに、竹倉氏の本が、世に受け入れられていった経緯についても検証を重ねていく。
専門知識はあれど一般社会と乖離しがちな学術の世界。専門知識はなくとも影響力を持つ「識者」という存在。わかりやすい物語を欲するメディアと読者……。これらの交わり方によって、事実はときに大きく歪む。〈『土偶を読む』ブーム〉を超えて、我々は「複雑な知」とどう向き合うべきなのか──。望月氏に話を聞いた。
発想は批判されるものではないが、検証が杜撰だった
──『土偶を読む』刊行直後から、望月さんは、竹倉さんの説に疑義を呈していらっしゃいました。従来、土偶は、人間、主に女性をかたどったものだとされてきました。しかし『土偶を読む』で竹倉さんは、土偶とは当時の縄文人が食べていた「植物」をかたどったフィギュアであることを、イコノロジー(図像解釈学)を用いて解き明かしています。竹倉さんによると、カックウ(中空土偶)=クリ、ハート形土偶=オニグルミ、山形土偶=貝、縄文のビーナス=トチノミ、結髪土偶=イネ、をかたどっていることになります(ここに挙げたのは一例)。今回、望月さんが縄文研究者らとともに竹倉説を検証する本を出された理由について改めて教えてください。
望月昭秀氏(以下敬称略) 実は、土偶と植物をつなげる発想自体は、新しいものではないんです。また、新しい仮説を立てること自体は何ら問題ありません。専門家でない人がやってもちろんいいし、その点を批判している専門家はいません。
ただ、『土偶を読む』は、仮説の論証があまりにいい加減でした。竹倉さんは土偶と植物が「似ている」というご自身の認知から論を固めていくのですが、土偶を一つの角度からしか見ていなかったり、欠損のある土偶と植物を比べて「似ている」としたり、当該の土偶の作られた時期にはそのエリアでの利用の痕跡のない植物(例:イネ)と土偶が似ていると主張したり。本では一つひとつ検証したので読んでいただきたいですが、とにかく論証がいちいち杜撰だと感じました。
──『土偶を読む』は「編年」と「類例」を無視していると指摘されています。
望月 はい。縄文時代はわかっていないことも多いですが、長年の研究によってわかっていることは、一般に思われているよりもずっと多い。だから研究であればそこは踏まえてやらないといけないのです。その代表的なものが「編年」と「類例」です。
これはいわば土偶の前後左右です。土偶の造形は時代時代で徐々に変わり、かつ周辺にも影響され変化します。だから土偶の造形のモチーフを求めるのであれば、ここは一番重要視しなければならないことは誰にだってわかりますよね。植物と似ている土偶をピンポイントで取り出してもあまり意味がない。結局のところ現実の資料や事実に基づかない想像は、いくら楽しくても妄想でしかありません。
それで、発売当時から自分のnoteなどで、信じてしまう人たちに釘を刺す意味で批判していたのですが、当初はこんな形で本にするつもりはなかったんです。検証作業ってものすごく大変だし、本にするならもっとちゃんとやらなければなりませんので。
でも、竹倉さんの本がすごく売れて賞を取り、子供向けの図鑑が出るとなったころから、考えなければいけないなと思うようになりました。権威がついてしまい、学校図書などに入るようになると、子供の教育にとっても社会にとってもよくないですよね。単純で基本的な間違いも多いですし、だから批判せざるを得なかったんです。研究者の方々にも賛同いただき、本を出すことにしました。