電車でお茶の水に連れて行かれた。駿河台下の「武蔵野」という小さなレストランに入り(この店はもうない)、ランチをおごってもらった。
そのとき食べたのがカニクリームコロッケで、九州の田舎の高校生は、世の中にこんなうまい食べ物があるのかと感激したのである。もう50年以上昔のことなのに、店名をまだ覚えているほど衝撃的だったのだ。
それから2年後、弟が上京してきたとき、今度はわたしが弟に、この店のカニクリームコロッケをおごった記憶がかすかにあるのだが、自信はない。
さいわい志望校に合格した。ここの記憶が曖昧なのだが、わたしは佐世保に帰らず、そのまま兄の下宿に居続けたようである。合格に浮かれて、毎日新宿歌舞伎町に映画を見に行ったことだけは覚えている。
学校が始まると、クラスは地方出身者ばかりの集まりだった。それぞれが相手に舐められないようにと気負い立っていた。早速麻雀や酒に興じる者たちがいた。政治の季節だったこともあり、生煮えの議論をする者もいた。
わたしは京王線沿線の空手道場に入門した。学校にはほとんど行かず、アルバイトに明け暮れた。クラスの連中がうっとうしく、道場やバイト先の連中と付き合う方がよほど楽しかった。
大学に入ってからも下宿やアパートがずっと千歳烏山(東京都世田谷区)だったので、よく行った繁華街は新宿だった。当時、渋谷や池袋はド田舎だった。めったに銀座なんかには行ったことがなかった。
東京に来て驚いたこと
東京に来て驚いたことが2つある。
ひとつは、会話のなかで東京の人間が「なるほど」という言葉を使うことだった。びっくりした。これは小説のなかだけで使う書き言葉ではないのか。そんなもの、会話のなかで使っていいのか、と思ったのだった。
そのほか、男が「いいね」とか「~するよね」というように語尾に「ね」をつけることにも違和感をもった。雑駁な大分弁や佐賀・長崎弁になじんだ耳には、女言葉のようで気色が悪かった。
もうひとつ驚いたことは、うどんの汁が真っ黒だったことである。初めて見たときはほんとうにびっくりした。
福岡もそうなのだろうが、大分、佐賀、長崎は大阪の影響なのか、うどんのつゆは薄いのだ(宮崎、熊本、鹿児島は知らない)。伊万里中学3年のときに学校帰りに友だちと食べた、料理屋のうどんは最高にうまかった。つゆはほとんど透明だった。