ヴィジュアル系の先天的なイメージに

 アルバム『TABOO』(1989年)はバンド初のオリコンチャート1位を獲得。初の日本武道館公演も大成功を収め、名実ともにBOØWY解散後の日本のバンドシーンを牽引する存在になっていく。

 と同時に、『TABOO』は多様性を帯びていく音楽性の変遷を見せ始めた作品でもあった。ドアタマから鳴り響く「ICONOCLASM」のたった2音(弱起を含めると3音)しかないギターリフと繰り返される無機質なハンマービートは、日本にインダストリアルロックが上陸した警告音である。

 東京ドーム公演を経て、リリースされたアルバム『悪の華』(1990年)および、同名シングルはオリコンチャート1位を獲得。マイナー調ながらもキャッチー性を持ったメロディと耽美的な詞を持った同曲はヴィジュアル系楽曲の代名詞的な存在として、シーンに大きな影響を与えていく。

BUCK-TICK「悪の華」(1990年)

 それはアルバムも同様である。今井の奇抜ながらもキャッチーなソングライティングセンスと、櫻井敦司の蠱惑的なボーカルが織りなす楽曲群。まるで異国のモノクロ映画を観ているようでもあり、無国籍でダークな作風の世界観はイギリスで生まれたゴシックロックとは一味違うBUCK-TICK独自のものだった。BOØWYの後継者では語ることのできないオリジナリティを確立したのである。そして、それは同時に“黒服系”といった、ヴィジュアル系の先天的なイメージにもなった。派手に逆立てた髪を下ろした黒髪の櫻井の風貌とともに。

BUCK-TICK「スピード」(1991年)

 6枚目のアルバム『狂った太陽』(1991年)では、ギターのダビングが増え、重厚なサウンドを聴かせた。これは“ライブと音源は別物”という彼らの作品に対する前衛的で実験的な飽くなき音楽探求の幕開けでもある。続いてのセルフカバーアルバム『殺シノ調べ This is NOT Greatest Hits』(1992年)は、その探求心ゆえ、とてつもない時間を費やして制作されたことが当時大きな話題になった。そして、1993年に問題作『darker than darkness -style 93-』をリリースする。