名越 例えば、養老先生がおっしゃっている(地方に生活拠点を構えて東京と行き来する)参勤交代の話です。

「20年間いろんなところで言っているけど、誰もやらないんだよ」とよくおっしゃっていますが、僕、ようやく波が来ていると思っています。山陰などの地方に行くと、地元の方は「こんな田舎で何もありませんが」と言われるのですが、こちらからすれば「めちゃくちゃいろんなものがあるじゃないですか」となるわけです。森も山も川もある。虫はいるし。

 最近になってZ世代という10代から20代の若い人たちは、ある意味地に足を付けた世代で分相応ということを実によく考えています。そういう人たちが田舎に行って、小さなお膳でご飯を食べることに豊かさを感じるというのは、バブルを経験している人間よりも10倍簡単な気がします。

 自然に抱かれたライフスタイルの中で、死んだら土に返るわけですから、死というものが生きることのひとつの句読点として、もう少し受け入れやすくなるんじゃないかと思います。これには一貫した思想性があるように思います。養老先生が生きることがおろそかになるよとおっしゃったことの裏側を、僭越ながら僕が類推するとそういうことにもつながるかなと思います。

自分の心を周りにつなげられない「都会人」

──死は誰にでも100%訪れます。だからこそ、日々をどう生きるかが大事、どんなライフスタイルにするかが重要だということですね。

養老 南海トラフ地震というこの先確実に起きる大災害がまさに象徴的ですね。ひとつの区切りで。

『ニホンという病』(養老孟司・名越康文著、日刊現代発行/講談社発売)

──いつかは必ず来る死の受け入れ方についてお伺いしたいと思います。

養老 死というテーマでもうひとつ気になるのは、死で消えてしまうことですね。若いうちは自分の心を中心に置いているような気がします。だけど、最近の考え方だと、自分の心がどのくらい自分の中に閉じられているか、ということがやっぱり問題になってくる。

 その時、田舎というか自然の中で生きる、そういう生き方をしていると名越さんが言われたように「土に返る」と、素直に感覚でとらえられる。つまり、自分の心が自分の中に硬い点として居座っているわけですが、それが周りにちらばっていく。そういうほどけた感じの心、そういう傾向が進んでいくんじゃないか。

 これはネットとかコミュニケーションが急激に進んだ時代のいいところだと思うんですよ。僕らのころは、それこそ個性とか、心の特徴を育てるような考え方をしていた。これからはそれを周りに分散してしまう。

 人間の世界に分散すると古い形になっちゃうんですけども、もっとおだやかに世界に分散する。そうすると自己の死というのが、都会の中の孤独に比べてはるかに楽なものになるんじゃないかという気がするんですけどね。今の都会人は、自分の心を周りにつなげられなくなっちゃっていますからね。