「自然の中で生きると、死を迎えた時に心が周辺にちらばっていく」と話す養老孟司氏(写真はイメージ)

 新型コロナウイルスの蔓延、ロシアによるウクライナ侵攻、そして甚大な被害想定が出されている南海トラフ地震……。そんな激動の時代に、我々は「生と死」についてどう向き合っていけばいいのか。解剖学者・養老孟司氏、精神科医・名越康文氏という2人の賢者が、人間の根源的なテーマである「死生観」について語り合った。

(*)本稿は「日刊ゲンダイ」に連載された養老氏と名越氏の対談をまとめた書籍『二ホンという病』(発行・日刊現代/発売・講談社)から一部を抜粋・再編集したものです。

南海トラフ発生後、国をどうやってつくり直すか

──南海トラフ地震が起きたら、死者32万人、被害総額が220兆円とも想定され、その後の展開次第では国家存続の危機になる可能性もあります。

養老孟司氏(以下、敬称略) こういう災害は規模によって何が起こるか分からないから最悪のシナリオを考えるしかないですね。

 南海トラフだけでなく、東南海に首都直下型地震が連動する可能性もある。それから火山活動の活発化という事態も考えておかなければいけません。噴火もね。全部が一緒に来るということは、まあないと思うんですけど、東南海が連動してくることは間違いない。1年ぐらいのずれがないとは言えないんですけど。

 どうせ、その頃も今みたいな(日本が衰退局面にある)状況になっているはずですから、これを元に戻すっていう時に、この国は何かあると以前の日常に戻すという傾向があるんだけども、それを上手にやめられるかどうかがポイントです。

 具体的には、地域的に小さな単位で自給していくことができるかどうか。(東京一極集中から脱却して)そういう小さな社会構造に国をつくり直せるかどうかが重要になります。災害があって、いろんな意味で不幸が起こったあとに、いったいどういう社会をつくるのかがいちばん大事なポイントだということです。

 小さな単位で地域的にやっていけるように、当然、災害のあったところとなかったところで、ある種の不公平が生じてきます。それはしょうがないとして、いちばんの問題は東京ですね。

 大都会の復興、再建をどういう形で落ち着かせたらいいのか。これは我々が考えることではなくて、実際には官庁なりシンクタンクが、今の人口、多少減るかもしれませんけど、これをどう分散して、どう移したらいいか。今から手を打っていくべきでしょう。それが進めば、環境問題も一気に片付く。そういう未来像を今から考えていくべきでしょうね。

──歴史を振り返ってみていかがでしょうか。

養老 災害の後は必ず法と秩序が表面に出てきます。安政の時(1854年の安政東海地震、安政南海地震)は、安政の大獄(1859年)が起きています。極端に国論が分裂する可能性があります。どういう考え方の人をリーダーにするかで日本の未来が決まっちゃうんですよ。

 安政の地震の後は、安政の大獄から明治維新になっていく。それ以前の日本史でも全部、ものすごく大きな方向転換が起こっています。源平の争乱(1180年)の時もそうです。「方丈記」に書かれていますが、(1185年3月24日に)平家が壇ノ浦で滅んだ4カ月後の7月9日(新暦では8月6日)に京都で大地震(M7.4)が起きています。その後、平安の貴族政治から鎌倉の武家政治へと変わっていく。必ず大きな変化が起こるんです。

 そうした状況の中で、自然環境を管理できるか、ということですよ。今はほとんど個人的な努力でやられているんですけど。

──南海トラフ地震というと規模と被害想定ばかりに焦点が当てられていますが、歴史的なことを踏まえて国家がどういう状況に陥るのか、どんな変化が起こるのか。その視点が欠けているということですね。

養老 世の中、太平ですよ。