それこそが「人間(世間)」である。だが、そんなことは、めんどうくさいなあ、“ただ生きる”だけでいいんだよ、で終わりである。

「お金」に対しては、わたしは欲しいものがない。もともと物欲が少ないほうだ。生活するお金は必要だが、金そのものへの欲はない。

 貧窮はたしかに苦であり敵である。しかしこのように考えると、敵ではなくなる。欲が抜けると、敵がいなくなるのだ。

 ただ、これはわたし個人のことだから、人に欲を少なくしたほうがいいいですよ、ということはできない。何事につけ強欲な人には苦と敵がついてまわるだろう。

地下鉄に乗り込んできた「うるせえやつら」

 いまから30年ほど前になるが、出張先のロンドンで体験したことが忘れられない。

 地下鉄に乗りドアの近くに立っていたとき、若者たちが5、6人なだれこんできた。そしてハッピーバースデーを歌い始めたのである。仲間の一人が誕生日だったのだろう。

 わたしは、「うるせえやつらだな」といきなり敵視した。

 イギリス人の乗客たちも、あからさまに「静かにしろ」などといわずとも、内心はうるさいやつらだと顔をしかめているにちがいない、とわたしは思った。

Tania Volosianko/shutterstock.com

 ところが、これがまったく違ったのである。なんと乗客たちが一緒にハッピーバースデーを歌い始めたのである。

 これにはショックを受けた。わたしには、こんな対応のしかたがあることなど、想像もできなかったからである。日本人は通常、わたしがそうだったように、いきなり敵視するだろうと思う。日本人の狭量さである。

 ところが、かれらは仲間になるのだ。

 もちろん日本人も時と場合によっては、友好的(寛容的)態度をとることもある。かれらイギリス人たちも、いつでもそんな友好的態度をとるわけではないのだろう。

 しかしそのとき、かれらが自然にとった態度に、わたしは負けたと思ったのである。

 好ましいのは、いうまでもなく敵視ではなく、友好的態度である。

「無敵」とは「敵」に打ち克つことではない。いきなり敵視して、敵を作り出すことでもない。

 できるだけ「敵」を「無くする」ことである。そうすれば、あなたも「無敵」に近づくことができる。