(町田 明広:歴史学者)
前期と後期に分かれる水戸学
水戸学とは、第2代水戸藩主の徳川光圀が始めた『大日本史』の編纂事業が継続される中で、藩内で醸成された学問のことである。その目的は、過去の日本の歴史を朱子学的な大義名分から明らかにすることにあった。
水戸学は、前期と後期に区分されている。18世紀初めまで、『大日本史』の本紀・列伝・論賛の編纂に取り組んだのが前期である。そして、第9代藩主の徳川斉昭の治世である18世紀末期から幕末にかけて、編纂事業は継続しつつも、政治的課題の解決にも目を向けたのが後期である。その舞台となったのが、斉昭が設置した藩校の弘道館であったのだ。
なお、水戸学が他藩の武士から注目されるようになったのは、おおよそ天保年間(1830〜44)以降であり、当時は「天保学」「水府の学」と呼称されていた。水戸学と言われるようになったのは、意外にも明治時代以後であり、 現在では前期・後期を含めて「水戸学」と総称される。