2023年3月20日、オウム真理教「地下鉄サリン事件」から28年目のこの日、日本の刑事司法の歴史に残る大きな「決断」が下されました。
この決定が持つ歴史的な意味は、どれだけ強調してもし切れません。
皆さん、特に40年、50年と生きてきた大人の皆さんであれば、いままでの人生で一度や二度は、目も当てられない理不尽な建前で押しつぶされる人を見てきた経験があるのではないでしょうか?
日本には、極めて残念なことですが「お代官さま」の前に「ひれ伏す」メンタリティ、江戸時代もかくやという非人権の極みのような心性が、21世紀の現在も残っています。
暴れん坊将軍や天下の副将軍・水戸光圀公などに大衆人気があり、そうした「権威」が発動し、日頃は人々を無理やりひれ伏させている悪代官やら、その代官と「おぬしも悪よの」などと酒を酌み交わす「越後屋」などの政商が、一斉に黄門様などの前にひれ伏すのを観るのが大好き。
そういう「権威の無謬性」を信じ込みたいという、度し難い封建根性をしっかり抱え込み続けている、その「日本病」が、やっと快癒に近づくかもしれない。
それくらい歴史的な意味を持っているのが、袴田事件の再審開始決定に対する検察による特別抗告断念という判断なのです。
敬愛する先輩である郷原信郎さんも強調しておられる今回の検察「断念」、少し違う角度から切り口を見せてみたいと思います。