(町田 明広:歴史学者)
●薩摩藩はなぜ、明治維新を成し遂げられたのか①
●薩摩藩はなぜ、明治維新を成し遂げられたのか②
薩摩藩の画期的な教育システム
幕末の薩摩藩は、時代を切り拓ひらいた才気あふれる多くの志士たちを輩出したが、その要因の一つとして薩摩藩特有の教育を挙げざるを得ない。薩摩藩には、例えば長州藩の松下村塾のような、有名な私塾は存在しなかったが、それは私塾が必要ないほどにしっかりとした、「学びのシステム」が確立していたからである。すなわち、郷中(ごじゅう)教育と言われたものである。今回は、薩摩藩の特殊性を紐解く最終回となるが、教育の側面から迫ってみよう。
さて、そもそも薩摩藩は人口の4分の1が武士であり、その薩摩武士は南国特有の荒くれ者であった。彼らの謀反の芽を摘み取り、かつ風紀の乱れを監視して是正し、しっかりと抑え込んでおかないことには、国として統制を取ることができなかった。そのため、島津家が家臣に徳育(道徳教育)を行い、忠誠心を涵養するために生み出したのが、この郷中教育だったのだ。
それにプラスして、幕末期に近づくと近海に外国船が出没を始め、琉球にも通商を求めて押し寄せるようになっていた。こうした対外的な危機的状況にも対応できる人材育成も、薩摩藩にとっては急務とされた。
こうした需要に対して、郷中教育のシステムは非常に合理的であり、西郷隆盛や大久保利通のようなリーダーを育むものとして、他に類を見ない画期的なものであったのだ。