国会答弁の中で岸田首相が、育休中にリスキリングできるように支援するという主旨の発言をしたと批判されています。テレビや新聞といったマスメディアや有識者など、多方面から厳しい声が向けられました。
「育休は休みではない」「家事もままならない中なのに」「子育てしてこなかったのでは」などの言葉からは、強い怒りを感じます。
ただ、岸田首相は「育児中など、様々な状況にあっても主体的に学び直しに取り組む方々をしっかりと後押ししていく」と語っていたに過ぎません。つまり、育児中の場合も含めて学び直しに取り組む人を支援するということであり、必ずしも「育休中は時間があるだろうからリスキリングに時間を費やして欲しい」という意味ではないようにも感じます。
しかしながら、もし世間からの批判は誤解だったのだとしても、あの答弁にはいくつもの大きな問題が含まれていました。その1つは、リスキリングを育児や育休という言葉と連動させる形で用いてしまったことです。
「リスキリングすれば賃金が上がる」という誤解
そもそもリスキリングは、人への投資を掲げる政策の一環で、賃上げや労働移動に寄与する施策として用いられていた言葉です。ただ、実際にはリスキリングしただけで賃上げや労働移動につながると言えるほど事態は簡単ではありません。なぜなら、日本では職務給(職務にひもづく賃金制度)ではなく、職能給(職務遂行能力にひもづく賃金制度)がとられているからです。年齢に応じて賃金が上昇していく年功賃金もまた、年齢とともに職務遂行能力も上がるという前提に基づいた職能給になります。
仮にリスキリングして新しいスキルが身についた場合、そのスキルを活かせる職務を任されたとしても、職能給だと社員等級や役職が上がるなどしなければ賃金は変わりません。最近では、ジョブ型雇用と称して職務型の仕組みを導入している会社もあります。しかし、職務給にするのは簡単ではなく、賃金制度は職能給のままというケースが見受けられます。いまの日本の労働システムでリスキリングが即賃上げにつながる可能性があるとしたら、正社員と呼ばれる雇用形態より、職務給に近い非正規社員と呼ばれる雇用形態の方です。
そして同じく転職などの際にも、正社員の労働市場は職能型をベースに形成されているため、リスキリングしただけで職場を移ることは簡単ではありません。正社員は職務に対する知識やスキルだけでなく、その会社の社員として“就社”するに相応しい職能の総合力も含めて採用可否の判断がされるからです。やはり、リスキリングが即転職につながりやすいとしたら非正規社員になります。
もし正社員がリスキリングを通じて賃上げされるとしたら、すでに相応のスキルを有している技術者がリスキリングによって時代をリードしていくような高度な技能を身につけた場合など一部のケースに限られます。
しかし、いま必要性が指摘されているリスキリングは、DXなど時代の急激な変化に取り残されないため当然に実施するものでしかありません。それなのに、「リスキリングすれば賃金が上がる」という誤解を招いてしまっているきらいがあります。物価高や海外との比較によって賃上げの必要性が叫ばれ、リスキリングという言葉がまるで“万能薬”でもあるかのように独り歩きしてしまっているのです。
そんな誤解だらけのリスキリングという言葉を、育児や育休という全く別次元のテーマと絡めて用いてしまうと、世の中の認識はさらに混乱してしまいます。それが国会答弁の中で行われたわけですから、「育休中もリスキリングに勤しむことで賃上げされる」といった誤った認識を醸成し、ミスリードしてしまうことになりかねません。