(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)

『SPY×FAMILY(スパイファミリー)』というアニメが社会現象になっている。集英社の『少年ジャンプ+』がネット配信する漫画が反響を呼び、2022年にテレビアニメになって火が着いた。

 私が知る限りでも(というより、それで認知して視聴したのだが)、「アマゾンプライムビデオ」を覗けば、しばらくは視聴ランキングの1位が定席だったし、デジタル庁が昨年12月からマイナンバーカードの普及キャンペーンにこのアニメを使っているといえば、その影響の大きさが知れるはずだ。

 ただ、マイナンバーカードの普及とはいうものの、その表題の通りスパイ活動と情報の盗み出しがこの物語の柱になっていることからすれば、むしろ違和感を誘うことでも話題となった。

文句なしに面白いのだが…

 ストーリーを簡単に説明してしまえば、東西に鉄のカーテンが下りている西国から東国に侵入したスパイ(コードネーム「黄昏」、東国では精神科医ロイド・フォージャーを名乗る)が、当地で少女を養子にして、形式だけの妻を娶り、偽装家族と生活しながら任務を遂行するというもの。ところが、この養子のアーニャという少女が人の心を読める超能力の持ち主であり、妻(ヨル・ブライアという)が役所勤めの傍らで殺し屋稼業をしているという設定。夫も妻も互いの素性は知らないものの、アーニャだけがすべてを把握していて当地での物語が展開する。

 それぞれのキャラクターが独特に描かれていることもあり、スパイや殺し屋に付きもののハードボイルド系の要素に、秘密を抱えた他人どうしが本物の家族以上に心を通わせたり、友人や他者を慈しむ心の機微が見え隠れしたり、どこかハートフルでいて、そこにコミカルが加わって見ている側を飽きさせない。素直に面白い。

 だが、ここまでブームになると、そこでどうしても疑問に感じてしまうことがひとつある。この物語を見て感銘を受ける人たちは、いったいどこに感情移入をしているのか、という点だ。