それを予想するなら、死亡にはいろいろな記録の仕方があることを思い出しておくといいだろう。

 人の死は統計データにもなり得るし、人生において最も悲しく耐えがたい出来事にもなり得る。

 中国の指導者たちは、統計データの死にはほとんど恐怖を感じない。

 中国共産党はそのイデオロギーの遺産のイメージをよくするために、何千万という人々の死を歴史から消し去ってきた。

 朝鮮戦争における中国人犠牲者の数は過小評価されているし、毛沢東時代の粛清や人為的要因による飢饉、暴徒などによる多くの犠牲者の受難も事実でないとされている。

歴史から消し去られてきた死

 都合が悪いために言及されない死もある。

 中国共産党は国民の生命を最優先していると胸を張るが、その指導者たちは、毎年約100万人の国民がたばこの害で命を落としていることについて驚くほど発言しない。

 ひょっとしたら、たばこが巨額の税収をもたらしているからかもしれない。

 国家機密とされる死もある。

 この国は、処刑についての統計を公開していない(当局は処刑した死刑囚から身体の一部を採取するのは止めたと話しているが、移植する臓器の出所は明かしていない)。

 外部者の多くは新型コロナについての中国の統計を信用していない。これについては2つの反応があるだろう。

 一つは、パンデミックの期間の大半において中国にはウイルスが比較的少なかった、本当の話だ、というものだ。

 実際、当局者には、発見した感染者を隠し立てしないようにするインセンティブが働いていた。接触者追跡で必要になる情報だからだ。

 もう一つは、死者の数は確かに奇妙に思われるというものだ。

 中国では、新型コロナによる死者数が2022年には500人超となっているが、2021年はわずか2人だった。

 おまけに、今年の5月26日から11月19日までの間に報告された感染者数は数十万人に達しているが、死者は一人も出ていない。