実はこの「独眼竜」は、中国発祥の言葉です。

 元々は李克用(り・こくよう、856~908年)という、中国の唐代に活躍した武将につけられた異称でした。

 李克用は唐の末期に軍閥を率いて活躍した武将で、唐が朱全忠(しゅぜんちゅう、852~912年)によって滅ぼされると、その後の覇権を巡って朱全忠と争いました。彼も伊達政宗同様に片目を失明していましたが、そのハンデをものともしない勇猛ぶりから「独眼竜」と呼ばれ、敵味方から恐れられていました。

 政宗が生前に、自ら「独眼竜」と名乗っていたかについては諸説あります。ただ李克用と同様に、政宗も部隊の衣装を黒一色で染め上げていたこともあり、李克用を意識していた節はみられます。そういう意味では、李克用は政宗にとって「独眼竜」の先輩にあたると言っていいでしょう。

「反面教師」を初めて使った意外な人物

「見習うべきではない悪いお手本」という意味を持つ「反面教師」という言葉は、教育現場に限らず、現代日本の至るところで使われています。

 ただこの言葉が中国発、それも現代中国の建国の父である毛沢東(1893~1976年)が初めて使った言葉だったということは、あまり知られていないのではないでしょうか。

 この言葉は、毛沢東の著作における「人民の中には5%の敵が紛れ込んでいるが、この敵を叩き潰しても残り95%の中からまた再び敵が現れてくる。そのため敵をあえて潰さず、反面教師(原文では「反面教員」)とみなして観察し続けるべきだ」という説明の中で使われています。