(太田 肇:同志社大学政策学部教授)
“マスク警察”が去ってもマスクを外せない日本人
新型コロナウイルスの第7波はようやく感染者や重症者の数も頭打ちになってきた感があるが、道行く人は厳しい残暑で汗だくになりながら、誰一人マスクを外していない。表情の見えない人々が行き交う街は殺伐としていて、薄気味悪い。
いっぽう海外に目を向けると、アメリカやイギリスなど欧米では、すでにほとんどの人がマスクを外して普通に生活しているだけに、日本社会の特異さが際立っている。
注目すべき点は、コロナ感染が世界中に広がり、国内で「マスク警察」や「自粛警察」が話題になった頃と今とでは様相がかなり違っていることだ。当時はコロナウイルスがまったく未知の脅威であり、政府はマスクの着用、行動の自粛を積極的に呼びかけていた。国民のマスク着用は、それに呼応したものだった。
ところが、いまではウイルスの正体もかなり分かってきて、政府も一定の条件さえ満たせば屋外でマスクを外すことを認めている。厚生労働省は「他者と身体的距離が確保できない中で会話を行う場合のみ」マスク着用を推奨し、それ以外の場面については、屋外でマスク着用の必要はないとしている。
そして場所を問わずマスクを着けない人に食ってかかる“マスク警察”も一時の存在感を失った。もはや大多数の人は、屋外でマスクを外すことがそれほど危険だとは思っていないはずだ。それなのに、熱中症のリスクさえ感じながらもマスクを外さないのはなぜか?
私はそこに、ある意味ではウイルス以上に危険なものを感じる。単なる同調圧力などとは違う何かが背後で働いているのだ。
それは、日本人、日本社会に独特の形で表れる「承認欲求」である。