7月11日、東京・港区芝の増上寺で執り行われた安倍晋三元首相の通夜には、手を合わせにくる多くの国民の姿が見られた(写真:ロイター/アフロ)

(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)

 安倍晋三元首相が殺された。10日に投開票が行われた参院選で訪れた奈良市内での応援演説中に銃撃された。

 投票日前々日の8日の午前11時半ごろ、近鉄大和西大寺駅前のロータリーで、お立ち台の上で演説を開始した直後だった。背後から爆音と共に1発目が発射され、振り返ったところに2発目が発射。安倍元首相はうずくまるように台上から降りてその場に倒れ込み、心肺停止の状態で奈良県立医科大学附属病院に救急搬送されたが、午後5時3分に死亡が確認された。

 手製の銃で襲った山上徹也容疑者(41)は、その場で取り押さえられ殺人未遂容疑で逮捕されている。民意が直接反映される選挙期間中に、聴衆の前で無防備の弁士を襲う、しかも「安倍一強」と謳われ、憲政史上もっとも長く政権を担った政治家の命を奪うという出来事に、日本中に衝撃が走った。「安倍嫌い」と言われる人たちも、こんなことは望んではいなかったはずだ。

「政治テロ」ではなく「個人的怨恨」による身勝手な凶行

 ところが、逮捕された山上容疑者は取り調べに、「安倍氏の政治信条への恨みではない」と述べたという。それどころか、「母親が宗教団体にのめり込み、金を寄付して生活が苦しくなった」と、ある宗教団体の名をあげて「恨みがあった」と言い、「団体トップを狙おうとしたが難しく、安倍氏はその宗教団体とつながりがあると思ったから、襲った」という趣旨の供述をしているとされる。

 そうであれば、この事件は「政治テロ」というよりは、有り体には容疑者の「身勝手」な事件といえる。個人の勝手な理屈や心証で相手を襲う。いわゆる通り魔や無差別殺人に近い。

 ただ、図らずも今回の参院選を観察していた私の視点からすれば、この事件がまさにこの選挙の特質を極端に映し出したもの、現在の世相のメタファーのように感じられて仕方ない。その事情を吐露してみたい。