(郭 文完:大韓フィルム映画製作社代表)
南北間における駆け引きは、昨日今日のことではない。その中でも、南北対決の最前線にいる南北の情報機関、すなわち北朝鮮国家保衛省(保衛部)と、韓国国家情報院の諜報員同士の見えない駆け引きは想像を絶するほどだ。時には危険で、時には幼稚なこともある両国の駆け引き──。どのようなことが繰り広げられているのだろうか。
今日は、韓国の北朝鮮支援団体の訪問団として北朝鮮を訪問した韓国国家情報院の諜報員が経験した一つのケースを伝えようと思う。それは、遠くから眺めれば悲劇だが、近くで見ればコメディのような、民族分断の悲しい悲喜劇であった。
「選手は選手を見つける」
これは、南北諜報員の間で日々、語られている言葉だ。彼らは自分たちのことを、南北関係における「選手」と自称する。南北関係が急速に改善した金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の時期に、韓国は多くの民間団体を支援と交流の名目で北朝鮮に送り込んだ。
当時の韓国は、北朝鮮に対して、1年に肥料60万トンと米40万トンを定期的に援助していた。米と肥料を積んだ韓国の支援船が北朝鮮の元山港と南浦港に何隻も入港した。それにより、北朝鮮保衛部の諜報員の仕事も忙しくなった。
同時に、韓国の国家情報院も、北朝鮮関連任務の部署に配置された新入諜報員をインターンとして韓国の民間支援団体の中に潜り込ませ、北朝鮮に送り込んだ。
特別な目的があったわけではなく、北朝鮮支援の名目で北朝鮮に入ることができる機会を利用して、国家情報院の新入諜報員に北朝鮮の実態を直接体験させるためのインターン・プロジェクトだったと、当時の国家情報院関係者は語る。
だが、さすがは諜報員。南北どちらとも、お互いに目つきだけで、誰が国家情報院の諜報員で、誰が保衛部の諜報員なのかが難なく分かったという。それで、「選手は選手を見つける」という言葉も出てきたと、国家情報院関係者は続けた。
興味深いのは、南北の諜報員が初めて会った時に行う対決が、なんと「酒勝負」であるということだ。