(英エコノミスト誌 2022年4月16日号)
ウクライナという国は、国境や機構、民族性ではなく、ボトムアップ型の自立を基盤としている。
キーウ(キエフ)の主な道はすべて、この都市の中心にある開けた空間「マイダン」に通じる――たとえその一部は目下、コンクリートのバリケードや対戦車障害物で封じられているとしても、だ。
普段のマイダンは都会の施設が集まった、大勢の人が行き交う場所だ。
地面の下では、地下鉄の駅と迷宮のような地下街がスペースを求めてせめぎ合う。
地上ではスターリン様式の建物が周りを取り囲むようにそびえ立ち、マクドナルドなどのチェーン店やクラゲ博物館のような珍しいテナントを誇っている。
そして時折、マイダンは国家の中心になる。
マイダンの変遷
過去には名前が何度も変わった。市立議会広場、ソビエト広場、カリーニン広場といった具合だ。
独立を要求する学生たちの抗議デモがここで初めて行われた1990年には、まだ十月革命広場と呼ばれていた。
現在の名前に変わったのはその1年後、ソビエト連邦が崩壊した後のことだ。
「広場」を意味するロシア語の「プロシャチ」やウクライナ語の「プロシャ」が名前から外され、「マイダン」になった。
クリミアのタタール人を介して持ち込まれたペルシャ語で、これによって街中の開けた場所という建築学的な概念に共同体の話し合いの場という意味合いが加わった。
正式名称は「マイダン・ネザレージュノスチ(独立広場)」という。
だが、ウクライナでは誰も修飾語を気にしない。