(英エコノミスト誌 2022年1月15日号)

技術革新の著しい分野で政府が企業への関与を強めれば革新が阻害される危険性がある

世界中の国が企業を意のままに従わせたいと考えている。

 政府と企業の関係は常に変化している。1945年の終戦後には、多くの国が国有企業や国営企業を使って社会の復興を目指した。

 1980年代になると、西側諸国における硬直化に直面し、国家が一歩退き、民間企業がグローバル市場で競争するルールを司る審判役に転じた。

 ある意味で、これは共産圏が学び取った教訓だった。

世界各地で似通うアプローチ

 そして今、世界は波乱に満ちた新局面に突入している。一般の市民が、社会的公正から気候変動に至るまで、様々な問題への行動を要求しているからだ。

 これを受けて政府は、社会をより安全で公正なものにするよう企業に指示を出している。ただし昔とは異なり、企業の株式や取締役会を支配しているわけではない。

 オーナーでも審判でもなく、言うなればクルマの後部座席から運転者にあれこれ指図をする「バックシート・ドライバー」になっている。

 企業に対するこの高圧的な介入は、善意でやっていることだ。だが、究極的には間違っている。

 本誌エコノミストが今週号の特集で説明しているように、このアプローチの気配はどこででも感じられる。

 米国のジョー・バイデン大統領は、自由市場の本家である米国を中間層が安心できる場所にすることを目指し、ソフトな保護主義、企業への補助金、公正な規制の3点からなる政策に取り組んでいる。

 中国では、習近平国家主席による「共同富裕」という名の締め付けが、やりたい放題の好景気における過剰の抑制と、今よりも自立していて穏やかなうえに従順な産業界の創造とを目指して企画されている。

 欧州連合(EU)は、自由市場から離れて産業政策と「戦略的自治」に向かいつつある。

 こうした3大経済圏の変化に伴い、英国やインド、メキシコといった中堅の国々も追随している。

 そして決定的に重要なことに、ほとんどの民主主義国では、党派の垣根を越えて多くの人々が介入に魅力を感じている。

 開かれた国境と自由市場を公約に掲げて選挙戦を戦おうと考える政治家など、今ではほとんど見られない。