「東京ドーム」は1988年完成。設計は日建設計と竹中工務店の共同設計、施工は竹中工務店だ。旧後楽園球場の老朽化に伴い、旧競輪場跡地に計画された。

 日建設計は検討段階で鉄骨トラスシェル、大型スペースフレームなどさまざまな架構方式を提案したが、最終的に東京ドーム社長の「内観がスポーツ観戦に最適」との判断で「エアドーム」に決定した。このため、当時、ガイバーガー社と空気膜構造の技術提携を結んでいた竹中工務店と共同設計室を構成し、日本初のエアドームを実現した。

「施工は集団で、設計は少数で」というイメージ

 どちらも一般の報道で名前が出るのは施工者だ。詳しい人でも、「東京スカイツリーは大林組、東京ドームは竹中工務店がつくった」という認識だろう。これには、日本がそもそも「棟梁」の文化であるということもあるし(設計と施工が分かれたのは明治以降)、設計事務所と建設会社の規模の違いも影響しているだろう。

 加えて日本では、施工は「集団でやるもの」という共通認識があるのに対し、設計はなぜか「少数でやるもの」というイメージが広がっている。「建築家の安藤忠雄氏が設計した」あるいは「隈研吾氏が設計した」というとイメージが湧きやすいが、「日建設計が設計した」と言われるとピンとこないのではないか。

 先ほど「設計事務所と建設会社の組織規模の違い」と書いたが、日建設計の規模もかなり大きい。安藤忠雄氏の事務所(安藤忠雄建築研究所)は数十人規模。隈研吾氏の事務所(隈研吾建築都市設計事務所)は近年、急拡大しているが、それでも三百数十人。それに対して日建設計は社員数約2000人だ。日建ハウジングシステムなどのグループ会社6社を含めると、全体で約3000人。世界的に見ても指折りの巨大設計集団なのである。

 そんなリーディング企業でありながら名前がほとんど報道されない。実は、冒頭に挙げた3つのプロジェクトのうち、「東京タワー」については、建築関係者ですら日建設計の設計であると知らない人が多い。それはなぜか。

“塔博士”だけに光が当てられたが

 以前、国民的人気番組ともなったNHKのドキュメンタリー「プロジェクトX」を見て、びっくりしたことがあった。「東京タワー」実現への奮闘を取り上げた「東京タワー 恋人たちの戦い」という回だ(初回放送は2000年)。

写真:アフロ

 東京タワーは、1958年(昭和33年)完成、高さ333m。エッフェル塔(高さ約312m)を超え、自立式鉄塔として当時、世界一の高さを実現した。「プロジェクトX」では、高所作業に挑んだ鳶職人たちの苦労とともに、設計段階での苦労も取り上げられた。しかし、設計者としてクローズアップされたのは、“塔博士”とも呼ばれた内藤多仲(たちゅう、1886~1970年)ただ1人なのである。