写真:花井智子

サッカー界において影響力のある「情報発信」を続けているのが、那須大亮と岩政大樹だ。ふたりは同級生であり、ともに現役時代から自分の言葉で「発信」を始めた。

岩政は9月に2年半ぶりの新刊『FootballPRINCIPLES 躍動するチームは論理的に作られる』(SYNCHRONOUS BOOKSを発表し、早々に重版を果たし、那須は8月で「YOUTUBE」チャンネル登録者数30万人突破の快挙を達成する。

いまでは当たり前のように存在しているアスリートの情報発信。元選手ならではの視点を伝えながら感じたことがある。

尖った態度が許される人、許されない人の差

──前回は、「伝える」ことを続ける中で「チームのバランス」の大事さ、つまり全員が「チームのため」とか「情報発信」とかに気を遣う必要はなくて、若い人ほど尖って自分にフォーカスをしていい、ということに気づいた、と話されていました。

 納得する一方で、極端に「尖る」例もあると思います。本当にぜんぜん、話を聞かない、とか。特に自分に自信がある「プロ」では多いと思いますが、このあたりの線引きはどこと考えますか。

那須大亮(以下、那須) 例えば人としてのあり方や立ち居振る舞いというのは、年代関係なく持っていてほしいですね。

 サッカーのプレーやメンタルの部分は、存分に「尖っているもの」を発揮してくれたらいいと思います。仕事上、「戦いの場」なのでどんな表現の仕方でもいいと思っている。

 でも、感謝をするとか、人間として最低限のことをしない、というのは別問題です。これはチームとしてという話とは別だし、年代も関係ない。人間性でチームの輪を乱すのであれば、それは絶対的に正すべきだと思っています。

 もしもそういった部分で不足があるなら僕は伝えますし、タイプによって伝え方や言葉のチョイスをいろいろと考えますね。

写真:花井智子

岩政大樹(以下、岩政) これはまさに本(『FootballPRINCIPLES』)に書いたことに近いと思います。カバーの裏にも表を入れているくらい(笑)大事だと思っていて……。

 例えばチームとしての「原則」──つまり約束事や決まり事──の中で、常に感謝を忘れないでいようと共有したとして、それが表に出る「現象」になるまでにそれぞれの場面で、各々の「判断」がある。

 だから、僕が(チームに対して)いつも言っているのは、「原則」をチームの中でしっかりと共有して、その後のことは個人に任せてあげるべきだということ。

 そうすれば、選手たちが同じ絵を描いた上で、それぞれの「判断」の余地が残されている状態を作れる。チームが躍動しながら、でも規律は守られるような状態ができると思うんだよね。

『FootballPRINCIPLES 躍動するチームは論理的に作られる』は原則不在のサッカー界に警鐘を鳴らし、たちまち重版が決まった。

 今の話は、人としての「原則」があった上で、「判断」を通じて「現象」が見えてくる。現象としての態度が尖っている、とかそういうことを正す必要はなくて、原則の部分で共有ができていないなら、そこは話そう、と。

那須 なるほどね。

岩政 この「原則」や「判断」をちゃんと区別できてないと、どうしても「現象」に対する「判断」の話が多くなってしまう。「判断」は結果論で語られやすいから、みんな「じゃあそれをやればいい」って話になって、描く絵が揃わないし、遊びがなくて躍動できなくなる。

 例えば、選手もSNSをやりましょう! みたいな。それって「判断」で、おおもとは選手の価値を高めるとか、チームの価値を高めるため。そこが共有できていない。

「人間としての最低限」も「原則」だよね。話を聞いていて、この区別がすごく大事なんじゃないかと改めて思った。