これはなにもドラマだけの話ではなく、時代がそういうものを求めているのではないでしょうか。いまオンライン教育ばかりで、「うつ」になる大学生が増えていると言います。テレワークでコミュニケーションが減り、うつ傾向にある社員も増えていると言われています。そういう中で見なおされているのが、実際に人と人とが触れ合うことで生まれる、本音と寄り添いのアナログ型のコミュニケーションです。もちろん、オンラインの活用、いわゆる「デジタル化」の良い点はたくさんあり、まさにSKYを踏まえて合理的・効率的に物事を推進することも大事ですが、やはり、それだけで全て解決するとは思わず、アナログの大事なところも意識しなければならないと思います。

デジタル化の時代だからこそ「アナログ」の要素が求められる

 菅総理に話を戻しましょう。先述のとおり菅総理は究極の「デジタル宰相」に見えます。一見、時代の最先端を行っているようですが、実は、コロナ下で見直されはじめている価値、すなわちアナログの大切さという面では時代に逆行しているようにも見えるのです。

 菅総理は、地方出身で議員秘書や市議会議員からの叩き上げということで、一見すると反エリートで、アナログ的な部分を重視している人のように受け止められています。少なくとも就任時のイメージは、デジタルというよりアナログだったかと思います。しかし、実際の政治姿勢や仕事のスタンスを見てみると、極めてスピードや効率を重視するデジタル型です。そのギャップに、厳しいコロナ時代にあってトップの「本音」や「寄り添い」を渇望していた国民、すなわち総理のアナログ的素質を期待していた国民は、やや失望してしまっているのではないでしょうか。これこそが「デジタル化の罠」なのです。

 社会を効率よくスピーディなものにしていくためにもデジタル化は必要ですが、特に人と接する部分ではアナログ的な要素がやはり大事になります。著書などを読ませてもらうと、菅総理は、そうしたウェットなあり方をスタイルとして意識的に嫌っている面も多分にあるようですが、危機下の総理には、特にアナログが求められると感じます。本来、菅総理は、これまでの歩みからして、そうした力を発揮する要素は十分にあると思われますし、是非、今後の「本音」と「寄り添い」に期待したいと思います。また、われわれも菅総理の振る舞いを他山の石として、デジタル化の時代にあってもアナログ的部分をもっと意識しないといけないと考えます。