なお、中国王朝としての「元」朝の成立年は1271年ですが、本稿ではその前身となったフビライ・ハーン率いるモンゴル帝国も含めて「元」と総称しますのでご了承ください。

一騎打ちなんてなかった?

 これまでの日本の歴史教育では、元寇に関して、元軍の兵器や戦術に鎌倉幕府軍は大いに苦戦させられたと教えてきました。その際、日本側の「一騎打ち」が通用しなかったとの説明もなされてきました。

 当時の日本の戦は、武士団の大将同士が戦闘前に名乗りをあげて一騎打ちで戦うスタイルだったのに対し、元軍は複数人がまとまって戦う集団戦法を採っていたという説明です。両者が戦ったら集団戦法の方が強いに決まっており、この戦法の差によって幕府軍はさんざん打ち負かされたと言われてきました。

 しかし、当時の武士が本当に時代錯誤な一騎打ちを行っていたのかについて、近年は疑義が唱えられるようになってきています。

 たとえば、実際に元寇で戦った竹崎季長(たけざき・すえなが)が恩賞獲得目的で戦闘の実態を描かせた「蒙古襲来絵詞」(もうこしゅうらいえことば)という絵巻物の描写とは一致しないのです。