「関ヶ原合戦図屏風」(Wikipediaより)

上杉謙信について考察した乃至政彦氏の新刊『謙信越山』と、北条五代を描いた伊東潤氏の新刊『北条五代』がいずれも好調だ。共通するのはあまりスポットが当たらなかった戦国の東国史にフォーカスしている点だ。

伊東が乃至の才能を見出し、共著を出版してから今まで交流がある二人。今回は乃至の『謙信越山』と火坂雅志から伊東が引き継いだ『北条五代』それぞれの主人公である上杉家と北条家の違い、さらには東国から天下を支配することとなった徳川家康の「関ヶ原合戦」について最新研究をもと考察する。(JBpress)

『謙信越山』発売記念:伊東潤×乃至政彦対談(1)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64287

『謙信越山』発売記念:伊東潤×乃至政彦対談(2)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64288

上杉家と北条家は正反対?

――伊東先生は『北条五代』、乃至先生は『謙信越山』を書かれていますが、北条家と上杉家の家風の違いをどのように考えていらっしゃいますか?

乃至 上杉家の場合、謙信の時代には本庄繁長とか北条高広といった重臣たちが反乱を起こしたり、謙信の死後には御館の乱という家督争いが起こったり、内輪もめがよくありました。その原因のひとつは、上杉謙信(長尾景虎)が兄の長尾晴景から家督を予期しない形で譲られたことにあります。つまり予定調和で当主になった人物ではないため、自分の手駒となる忠実な家臣に恵まれなかったということがあると思います。

伊東 なるほどね。上杉氏といっても謙信は守護代の長尾氏の出で、しかも兄から家督を譲ってもらったという経緯がありますから、国人たちを支配する筋目が弱いわけです。だから朝廷や将軍家との関係を緊密にし、彼らの権威によって支配力を強化しようとしたわけですね。

謙信越山・乃至政彦著は、知られざる戦国時代の東国武将と謙信のかかわりを描く。

乃至 それとは反対に北条家の場合は、初代の早雲の頃から関東をどうおさえるのか、考え方が一貫している。遺言というか家是もきちんと残されていて、一族や家臣たちが創業のビジョンをきちんと共有できています。

上杉謙信は、先代からの遺言もないまま家を継承して、ビジョンも用意されていないから、家臣の心がバラバラになるのをまとめるだけで精いっぱい。そんな状態を個人の力量だけでなんとか乗り切ろうとして、さらに関東へ外征とかしてしまうから、反乱が起こるのも当然だったんじゃないかと。

伊東 上杉謙信、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉らと北条氏が異なるのは、彼らは彼らにしか座れないコックピットを作ったわけです。つまりカリスマ性だけで家臣団を統制したとか、仕組みらしい仕組みもなかったり、その時の気分で様々な裁定を下したり。

それが北条家では誰でも操縦できるコックピットをつくろうとした。すなわち評定制度とか、「小田原衆所領役帳」【※1】によって平等性を強く打ち出したわけです。だから北条家は5代をとおして内乱もなく安定していた。一方、謙信にはそうした意識はあまりなかったかもしれません。

※1 小田原衆所領役帳 北条氏康がつくらせた一族・家臣の諸役賦課の基準となる役高を記した分限帳。

乃至 その点、北条家に勝る大名はいません。代々継承することができる仕組みをつくったということは、やっぱ大きいと思います。