その評価の焦点は、日露戦争における旅順攻略戦における指揮に集中しています。
日露戦争のなかで屈指の激戦となった旅順攻略戦において、乃木希典率いる日本陸軍は、ロシア軍が守る203高地をはじめとする陣地を陥落させることに成功します。しかしその攻略に至るまでには多大な兵隊が戦死し、乃木希典の2人の息子もこの戦闘で亡くなっています。
この旅順攻略戦における乃木希典の指揮について、否定派からは、機関銃を並べた敵陣地へ兵士を無策で突撃させ続け、無駄に損害を広げたと指摘されています。また最初の攻撃における失敗はまだしも、その後も何ら対策を講じず、相も変わらず突撃を命じ続けた点もよく槍玉に挙げられます。
一方、擁護派からは、武装化された要塞への攻略戦は前例がなかったとし、大きな損害が出たことは当時の知見や状況からみれば仕方がなかったとする意見が出ています。また乃木希典が絶え間ない攻撃を仕掛けたからこそ、ロシア軍は疲弊し、最終的に陥落させることができたという意見もあります。
乃木希典に関する議論では、日本の歴史小説の第一人者ともいえる司馬遼太郎が自身の小説のなかで愚将説を唱えたことが有名です。一方、司馬遼太郎のそうした主張に対し、太平洋戦争においてラバウルを終戦まで死守した今村均(元陸軍大将)が「乃木将軍は無能ではない」と読売新聞紙面に反論を寄稿するなど、多くの著名人がこの議論に加わっています。
筆者の評価を述べると、子供の頃は「乃木希典は愚将だ」と強く思い込んでいました。しかし個人的にも尊敬する今村均の主張を知ってからは、「あの今村均が言うのなら」と、やや肯定派に傾きつつあります。