「卒中風」または「虫気」で倒れた謙信

 先述した上杉家の公式記録『謙信公御年譜』には、謙信が倒れた原因は、「卒中風」と記されている。「卒中とあるから、脳溢血だろう」と思えるが、この記録は謙信が亡くなって100年以上あとに書かれたものであることに注意したい。

 同時代の史料を見ると、これと異なる病状を書かれているのだ。

 謙信の家督を継いだという上杉景勝の書状で、そこには「不慮の虫気」と書いてある。

 その原文と現代語訳を一緒に見てみよう。

『越佐史料 巻5』より 国立国会図書館蔵

【原文】態用一書候、爰元之儀、可心元候、去十三日謙信不慮之虫気、不被執直遠行、力落令察候、因玆遺言之由候而、実城へ可移之由、各強而理候条、任其意候、然而信・関諸境無異儀候、可心易候、扨又吾分事、謙信在世中別而懇意、不可有忘失儀、肝要候、当代取分可加意之条、其心得尤ニ候、 猶喜四郎可申候(吉江信景)、穴賢々々、

 追啓、謙信為遺言、刀一腰[次吉作]秘蔵尤候、以上、
              三月廿四日        景勝(花押)
               小嶋六郎左衛門(職鎮) とのへ

【現代語訳】ここでは一つ書きの手紙に記します。わたしは不安な状況になりました。さる3月13日に謙信が「不慮の虫気」で倒れて、回復することなく亡くなってしまいました。 苦衷をお察しください。これにより遺言通り、本丸(実城)へ移るべきだと皆さんが強く説くので、その気持ちに応じることにしました。それから関東や信濃の境目からの異論は何もなかったので、ご安心ください。さてまた、あなた自身も謙信から特別目をかけられていたことを忘れず、わたしの代においても、より一層、厚意にするつもりでいるのを、よく心得ていてください。なお、吉江信景から詳細をお伝えいたします。あなかしこ、あなかしこ。

追伸:謙信からの遺言で、次吉の刀を一腰お贈りいたします。秘蔵するべきでしょう。以上です。
                 3月24日         景勝(花押)
                      小嶋職鎮とのへ

 これを見ると、謙信の病気が脳卒中か、そうでないかを判断することができる。まず「不慮の虫気」だが、中世において「虫気」とは、基本的に腹痛の意味で使われている。たとえば、これから13年後、島津義久が近衛前久に宛てた書状案(島津家文書。天正19年[1591]閏正月10日付)に、京都から薩摩へ船で戻る道中のくだりが記されており、ここに「海上寒風無為方故候哉、従中途中虫気出合、于今迷惑之式候、」と書かれている。この時期、義久が脳卒中になった形跡はなく、その後も約20年ほど元気に過ごしている。すると、この「虫気」は、腹痛の意味で読むのが妥当であろう。

 また、武田信玄が近習の「弥七郎」に夜伽をさせなかったと説明する起請文にも、その理由について、源七郎が「虫気之由申候間(虫気だと言っていたから)」と述べており、やはりこれも腹痛以外の意味には読み取れない。もし仮に弥七郎が脳卒中なら、自己申告がなくても見ればわかることなので、「虫気之由申候間」ではなく、「虫気之由ニ候間(虫気の様子だったから)」と書かれただろう。この「虫気」もまた、腹痛の意味で読むのが適切なのである。