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記事冒頭の写真、公園内にある橋なのだが、何かおかしいことに気づいただろうか。
まず、人が渡るだけの橋にしては橋桁がちょっと立派すぎる感じがする。さらに写真をよく見ると、橋の向こう側に岸がみえる。つまり、池の端に設置されているので、橋としての役割をあまり果たしていないのだ。
橋の欄干には「旧浦村鉄橋(旧越路(こしじ)橋)」として「土木学会選奨土木遺産」に認定されたというプレートがある。使わなくなった橋を保存用に移築したようなのだが、単に古い橋というだけで「土木遺産」と言えるのだろうか。
鉄道橋を道路橋に転用
この橋はたしかに、日本の近代を象徴する“遺産”と言えるのだが、その理由を説明しよう。
この赤い鉄橋は、もともとは浦村鉄橋という鉄道橋の一部だったのだ。JR信越本線(建設当時は北越鉄道)がまたぐ信濃川は川幅が広いので、浦村鉄橋は橋桁6つをつなげたものだった。橋桁は、鋼材を三角形につなぎ合わせ必要に応じて縦材を入れて強度を強めた「トラス構造」と呼ぶものだ。
浦村鉄橋は1898年(明治31年)に架けられたが、橋が老朽化したため1952年(昭和27年)に架け替えられた。このとき、すでに50年以上経っていた古い鉄橋の橋桁は廃棄されず、再利用されることになった。
使われたのは、信越本線の浦村鉄橋のすぐ南(信濃川上流)に架ける道路橋「越路橋(こしじばし)」だ。
越路橋も橋桁6つなのだが、必要な長さが浦村鉄橋と微妙に違うため、両端の2つの橋桁は新設した。それにより2つの古い橋桁が余ってしまったので、それも別の場所で再利用したのだ。