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2020年10月23日、学術会議任命を拒否された4人が撤回を要求した(写真:つのだよしお/アフロ)

(文:上昌広)

 日本学術会議が世間の注目を集めている。現在召集されている臨時国会でも、菅義偉首相が任命拒否問題で野党から追及を受けている。

 本稿では、同問題の背景について、私なりの分析をご紹介したい。

学界の代表は東京学士会院だった

 まずは、日本学術会議の概要だ。

 同会議は、日本に87万人いるとされる研究者の最高組織で、定員210人の会員と約2000人の連携会員から構成される。現在の会長は、2015年にニュートリノが質量をもつことを示すニュートリノ振動の発見でノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章・東京大学卓越教授だ。

 同会議は、人文・社会科学、生命科学、理学・工学の3部会から構成され、会員の任期は6年だ。3年ごとに半数が改選され、再任は認められない。内閣総理大臣が所轄する。

 同会議の目的は、「わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させること」であり、「日本の学者を代表する機関で学界における国会のような存在」(元会員)と考える研究者も少なくない。

 では、この組織は、どのような経緯で誕生したのだろうか。組織の真の姿を理解するには、その歴史を知るのがいい。

 実は、日本学術会議の歴史は浅い。設立は戦後の1949年だ。それまで日本の学界を代表したのは、1879年に設立された東京学士会院だ。初代会長は福沢諭吉で、西周や加藤弘之など21人が名を連ねた。その後、帝国学士院を経て、現在の日本学士院に連なる。世界のアカデミーの連合である国際学士院連合に日本代表として参加するのは、この日本学士院だ。日本学術会議ではない。

占領体制の「申し子」として誕生

 なぜ、日本学術会議が誕生したのか。それには、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による戦後処理が関わっている。戦争遂行体制の一翼を担った帝国学士院を廃し、新しい組織を作ろうとしたのだ。

 1948年にはGHQの指示で日本学術会議法が成立し、一定の資格を有する学者全員による直接選挙で会員を選出した。GHQが主導した民主化政策が反映されたことになる。軍部や右翼が介入した苦々しい記憶が残る学界は、日本学術会議の発足に大きな期待を寄せた。

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