(廣末登・ノンフィクション作家)

 筆者は、これまで暴力団等の取材を通じ、身近なアングラ社会のリアルを伝えてきた。今後も、その姿勢は変わらない。しかし、今回は、そのテーマを少々逸脱して、コロナ禍で変化する未来へ対応するための選択肢を考えてみたい。

 もちろん、筆者が述べることが全てではないが、以下で記述することは、筆者の経験に基づき、筆者自身が選択してきた生き方である(27歳から大学教育を受けた筆者は、実に30種類ほどの仕事を経験している)。筆者の価値観に共鳴できる方々の参考になれば幸いである。

将来への体感不安を知覚させるコロナ禍

 コロナ禍による社会不安が止まらない。マスコミは、大衆の関心事に的を絞ってコロナ関連のニュースを重点的に報道するから、右も左もコロナ一色である。ニュースの中には、悲観論あり、楽観論あり、内容も玉石混交という具合で、結局のところ得心がいかない。

 ゆえに、先行き不透明な将来に対して、漠とした不安――「体感不安」が醸成されているのではないだろうか。とりわけ、正規、非正規を問わず、企業に勤務している方は、今後の自身の生活に、大なり小なり不安を抱えていると思う。

「緊急事態宣言が解除されて1カ月が経ちましたが、新型コロナウイルスと長く付き合う可能性を踏まえ、採用計画の立て直しを行ったり、自社内の雇用調整を進めたりする企業が増えています。一方で、転職希望者の中には、会社の先行きに不安を感じている人だけでなく、働くことの捉え方・向き合い方が変わり、新しい働き方を考える人が増えることが予想されます」(dodaエージェントサービス 2020年6月レポート)

 コロナ禍は、我々の日常を変えてしまった。ルーチンな生活は戻らないかもしれない。企業という大樹に依って一生安泰という考え方も再考の必要があろう。コロナ後の社会では、企業人像も変わってくるかもしれない。

 筆者が、コロナ禍でまず気づいたことは、春になると恒例で目にしていた若者――白すぎるシャツに地味なネクタイをした会葬人のような一団――新入社員か就活中の大学生を、街中で見なかったことである。