都農ワインの小畑暁社長(中央)と赤尾誠二工場長(左)。手前は筆者(写真は筆者)

 宮崎県都農町は、「山と滝とくだもの」の町としてぶどうの栽培が盛んな土地です。

 町が第三セクター方式でワイナリーを建設、1996年よりロゼと赤ワインを3万本あまり売り出したところ、瞬く間に完売。

 フルーティな味わいで人気となり、今では年間20万本の生産を継続しています。

 国税庁の平成31年調査によれば、国内にワイナリーは331場。年間生産量の都道府県ランキングで宮崎県は6位。

 宮崎県内には6場あるワイナリーで年間20万本前後を生産する都農ワインはその約半分を占める生産をしており、18場ある九州の中では最も生産量の多いワイナリーです。

 国内の生産量では上位10%前後に位置づけられます。

 高温多湿で、台風が多くワイン栽培には決して適していない土壌の都農町で、世界のワイン100選にも2度選ばれ、年間20万本を安定して生産するワイナリーができたのか。

 その秘密をチーフワインメーカーで社長の小畑暁さんと、取締役工場長の赤尾誠二さんに聞きました。

不可能と言われた果樹栽培を実現

 都農ワインの歴史は、尾鈴連山と日向灘の地で、10代の若手農家、永友百二さんが稲作に頼らず果樹栽培にチャレンジ、19歳で梨園を開園させ、終戦直後からぶどうの栽培に着手したことから始まります。

 年間降雨量4000ミリ以上、世界のぶどう産地の5~8倍もの雨が降り、収穫期には台風、火山灰性でミネラル分の不足の土壌など、ぶどうの栽培には適さない不利な条件だらけでした。

「田んぼに木を植えるなんて」との非難にもめげず、土の基礎研究から土壌改良を行い、排水対策や防風林の植樹、ビニールトンネルの栽培など研鑽を重ねながら対策を講じて昭和28(1953)年に県内で初めて巨峰の植え付けに成功しています。