日本海海戦で連合艦隊の攻撃により轟沈したロシア海軍装甲「アドミラル・ナヒモフ」(写真:近現代PL/アフロ)

 新型コロナウイルス禍にある5月27日、日露戦争の勝敗を事実上決定づけた日本海海戦から115周年を迎える。

 日露戦争中の1905年(明治38年)5月27日から5月28日にかけて、日本海軍の連合艦隊とロシア海軍のバルチック艦隊との間で歴史上に残る海戦が行われた。

 この海戦は日露戦争中の最大規模の艦隊決戦であり、その結果、連合艦隊は海戦史上まれに見る勝利を収め、バルチック艦隊の艦艇のほぼすべてを損失させながらも、被害は小艦艇数隻のみの喪失にとどめた。

 この結果は和平交渉を拒否していたロシア側を講和交渉の席に着かせる契機となった。

 115年前のこの日、東郷平八郎連合艦隊司令長官は開戦直前に旗艦「三笠」へZ旗を掲揚し「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ」というメッセージを全艦隊に伝えた。

 もしもこの艦隊決戦で敗れれば、東郷の言葉通り、「皇国は廃れ」てしまい、ロシアの属国になっていたに違いない。

 バルチック艦隊が、極東に健在する唯一のロシア海軍根拠地のウラジオストクへの航路(コース)としては対馬海峡コース、津軽海峡コース、宗谷海峡コースの3コースがあった。