一方で、集団免疫論に基づいて、ほとんど規制しない方針を貫いている代表がスウェーデンとブラジルである。高齢者と基礎疾患のある人に対しては特に注意をしながら、経済や社会の活動を止めないことを基本路線としている。このような対応に対しては、感染症の専門家からは、多くの命を犠牲にする危険性があるとの批判が寄せられている。しかし、福祉大国スウェーデンも、「ブラジルのトランプ」と称されるポピュリストのボルソナロ大統領にしても、コロナで困窮する人々への対策は打っている。

 以上のような諸外国の状況を見るとき、緊急事態宣言が5月6日に期限を迎える日本については、政府の解除戦略立案に不安を禁じえないのである。私は、極めて少数派だが、一貫して「緊急事態宣言そのものに大きな意味を見いださない」という見解を維持している。

宣言解除時期の決定に不可欠の科学的・疫学的データが欠如

 欧米と日本は感染状況も緊急事態の法的仕組みも異なるので、何でも欧米の真似をすればよいわけではない。宣言には、僅かの例外を除いて、政府の方針を実行させる強制力はない。パチンコ店が自粛対象となっても、県外で営業している店に行く者を止めることはできないのである。要するに、「空気」、つまり同調圧力で行動規制を促しているのであり、このような対応が近代国家に相応しいのであろうか。開店している店に対して、「自粛警察」と呼ばれる市民の隣組的いやがらせ行動が問題になるほどの過剰対応である。

 最大の問題は、感染の実態が正確に掴めていないことである。それはPCR検査が不十分だからである。アメリカでは、検査を加速化させているし、抗体検査も実施している。しかし、日本では、安倍首相が1日に2万件と言っても、まだそれは実現されていない状況だ。

 毎日、各自治体が公表する感染者数も、検査数に比例しており、週末には検査申し込み件数が減るので、感染者数も減っている。検査数と感染者数を同時に発表しなければ意味がないのに、マスコミも感染者数を伝えるのみである。感染者数を減らそうと思えば、検査数を絞ればよいだけの話である。