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 新宿二丁目―ただの地名でありながら、この言葉に人々は自分の人生を重ね、さまざまな思いを抱く。長崎の小さな村の由緒正しい武家の家柄に生まれた一人の青年―「日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラス」理事―長谷川博史氏の新宿二丁目への想いと半生に迫る。(JBpress)

(※)本稿は『生と性が交錯する街 新宿二丁目』(長谷川晶一著、角川新書)より一部抜粋・再編集したものです。

 男の名は、長谷川博史。1952年(昭和9年)9月生まれ。すでに還暦を過ぎ、古希が視野に入りつつある。長崎県で生まれ、高校を卒業するまでその地で育った。

「高校の頃、たまたま見ていた『平凡パンチ』に新宿二丁目で働く、クロちゃんというゲイボーイの記事を目にしました。そこに登場していたクロちゃんは私がそれまで知っていたゲイボーイのみなさまとは明らかにちがうお顔立ちでした」

 長谷川が高校時代を過ごした1960年代後半から1970年代前半にかけて、マスコミで取り上げられるゲイボーイと言えば、カルーセル麻紀や東郷健、ピーター、あるいは丸山明宏―後の美輪明宏―といったフェミニンなタイプばかりだった。

 しかし、このとき『平凡パンチ』で見たクロちゃんは四角い顔で角刈りのいかついタイプの男性だったのだ。

「私はこのとき初めて、フェミニンなタイプだけではなく、いかにも男という容貌のゲイの方がいらっしゃること、そしてゲイが集まる新宿二丁目という街が東京にあることを知りました・・・」

 長谷川と新宿二丁目との運命的な邂逅の瞬間だった。

 この日から、少しずつ新宿二丁目に対する思慕の念が激しくなっていく。しかし、彼の住む長崎から仰ぎ見る東京・新宿は自分には手の届かない異次元の世界だった。

 それでも、新宿二丁目への憧れはますます募っていく。彼の人生の歯車が大きく動き出そうとしていた――。

新宿二丁目デビュー

 上京後、最初に「社交場デビュー」を果たしたのが「ハッテン場」と呼ばれるゲイ同士の出会いの場だった。舞台となったのは渋谷の名画座である全線座。

 それは、大学教授の漏らしたひと言がきっかけだった。

「授業の大半を雑談で過ごすことで有名な文学の授業のときに、教授が『安い映画館の入口は混んでいることが多いけど、その人込みをかき分けてなかに入っていけばガラガラだからな。入口に立っている連中はホモだから気をつけろよ』と話しました。そして、『特に渋谷の全線座はとんでもないことになっている』って(笑)」

 授業が終わるとすぐに、長谷川は渋谷に向かった。そこでは、教授の話していた通りの光景が展開されていた。