アメリカ生まれの金融工学とやらを駆使して、アメリカの金融機関が、返済能力があやしい人たちに住宅ローンを組ませて、その債券をアメリカの格付け機関が「絶対大丈夫」とランク付け、さらにご丁寧にローン保証会社が「最終的にはワシが保証しますけん」と保証して、世界中の金融機関に買わせて米国に資金をもたらしたのだから、「国ぐるみの詐欺じゃないか。サブプライムローンじゃなくて、詐欺プライムローンだ!」という気がしないでもないのだが、世界中が大嵐で大変な騒ぎだ。
しかしこういった状況を日本は何度か経験している。鍋底景気、オイルショック、第1次円高・・・。一時は「今度こそダメだ」と絶望的な気持ちになったりするのだが、ドサクサが一段落した後には、さらに一段と鍛えられたくましくなった腕をさすっている。
日本の持ち味はこのねばり腰だ。リストラだ工場閉鎖だと大騒ぎしているが、ほとんどのメーカーがまだ徹夜麻雀を頑張り抜くつもりなのだ(それはそれで、恐ろしいことではあるのだが)。
今回の不況は日本も大変だが、他の国々、特に中国にとっては大変だ。中国は改革開放路線を進んで以降、本格的な不況を一度も経験していない。
実は、不況期には不況期なりの時間の活用法がある。人を育て、技術を磨き、忙しい時には手が回らなかったことをやるチャンスなのだ。
また、不況期に注意すべきことも沢山ある。例えば機械類は長期間放置すると、後で使えなくなって苦労する。日本の某自動車メーカーは数年間、ある工場を操業停止せざるを得なかったのだが、従業員たちは交代で週1回工場に通って、ラインを動かし、チェックをしていたという。このような行動は日本以外の国ではちょっと難しい。
天保2年、たたら製鉄で創業
広島市安佐北区可部1-21-23
広島県に、こうした日本の中小企業の素晴らしさを体現したような会社がある。広島市の北部、可部(かべ)にある大和(だいわ)重工だ。
創業は天保2(1831)年というから、現在まで170年以上の歴史を持つ。もともと中国地方は日本の鋳物発祥の地だ。島根県を中心にした「たたら」方式による製鉄の記録は、日本書紀の中にも見られる。
たたらとは、砂鉄と木炭を炉に入れ、天秤ふいごで送風し、高温で熔解させて鉄を作る方法である。この技術によって武家時代には日本刀など武具が作られた。江戸時代になると庶民生活のための鍋・釜や、農業生産性向上のための農具・工具が作られるようになった。
当時の鋳物業者は鋳物師(いもじ)と呼ばれ、勅許を得た格式の高い職業だった。大和重工も格式高い鋳物師の1人だ。170年以上にわたり、たゆまぬ努力、新しい鋳造技術の開発、設備の合理化により、今日まで発展してきた。丹念に手を抜かず、ひたすら丁寧に仕上げていく「たたら」の精神は、いまなおダイワの変わらぬ姿勢になっている。
明治・大正の期間、鍋釜から徐々に農機具、ストーブ、機械類へと展開を図ってきたのだが、昭和になって当時の軍の要請により、重機械類の鋳造を手がけるようになった。近くに戦艦大和を建造した呉工廠があったこともあって、有力な軍需工場となった。だが、敗戦とともに工場は塵芥に帰した。