2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公に選ばれた北条義時。鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室・北条政子の弟であり、鎌倉幕府の第2代執権である。『愚管抄』には、北条政子は神功皇后の「再生」、北条義時は武内宿禰(たけしうちのすくね)の「再誕」と記されていた――北条一族の鎌倉幕府支配に「王権神授」とも言うべき理論的根拠を与えた義時の軌跡にせまる。全2回、後編。(JBpress)

(※)本稿は『執権 北条氏と鎌倉幕府』(細川重男著、講談社学術文庫)より一部抜粋・再編集したものです。

(前編)何もしない男、北条義時が覚醒したとき
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59116

武内宿禰の再誕

 義時はなぜに武内宿禰の再誕とされたのであろうか。

 武内宿禰と義時との共通性の第一は、数代の主君(武内宿禰の場合、天皇。義時の場合、将軍)に仕えた点であろう。

 武内宿禰は五代の天皇に仕え、棟梁之臣・初代の大臣を務めたとされる。対して義時は源頼朝・源頼家・源実朝・藤原頼経の将軍四代(正式には、義時の生前には頼経は将軍に任官していないが)に仕え、実朝・頼経の二代で執権を務めている。

 次に、武内宿禰と義時の共通性を考える時、重要となるのが神功皇后と北条政子の存在である。『吾妻鏡』嘉禄元年(1225)7月11日条は政子について「神功皇后、再生せしめ」と記している。

 神功皇后は14代仲哀天皇の皇后でありながら、近代以前には天皇歴代に数えられており、政子もまた鎌倉将軍歴代に数えられていた。源氏将軍家断絶後の鎌倉幕府で、偉大なる頼朝の妻として、政子は重要な役割を担った。

 武内宿禰は応神の即位に反対して起こった応神の異母兄香坂・忍熊両王の乱を神功皇后と共に平定しており、義時もまた、頼経の初政に勃発した承久の乱を政子を奉じて平定した。

 数代の主君に仕えた後、以前の主君の妻である偉大な女性と共に、政権の本拠地から遠く離れた西方の地で誕生し来たった幼い新主君を支え、その初政を乱す戦乱を平らげる。これは武内宿禰の物語であると共に、そのまま義時の物語でもある。