しかし、刑事の追及は続きました。もうろうとする青木さんに、ときおり優しい口調で語りかけたと言います。
「ある日、刑事はこう言いました。『認めたくない気持ちはわかるよ、でもね、娘に悪いと思ったら、謝らなあかんよ・・・』。私の心の中は、『助けてあげられなくてごめんね』という気持ちでいっぱいでした。すると刑事はこうも言うのです。『助けられなかったことは、殺したことと同じやぞ』と。そのうち、私自身が、『やはり私が殺したことになるんだ、殺してごめんね・・・』という気持ちになり、事実ではない調書が作られてしまったのです」
子どもを愛するがゆえに、親は「子ども守ってやれなかった自分」を責める傾向があります。そうした親心を逆手にとって、自白を強要しようとする捜査機関の態度には憤りを禁じえませんでした。
わが子や孫へ贖罪の念
自白を強要されたことによって、31歳からの20年を獄中で過ごすことになった青木さん。この日、『SBS/AHT被害を考える家族の会』の出席者は皆、神妙な面持ちで彼女の話に聞き入っていました。
青木さんほど長い年月にわたって拘置所や刑務所に入れられた人はいませんでしたが、一方的で理不尽な取り調べや、子どもとの長期間にわたる親子分離などはその場にいたほとんどの人が経験してきたことです。
11月8日に大阪高裁で逆転勝訴が確定した山内泰子さん(69)もそのひとりです。
お昼寝中に突然、脳出血を起こし容体が急変した生後2カ月の孫への虐待を疑われ、傷害致死罪で逮捕、起訴され、一審の大阪地裁では懲役5年半の実刑判決を受けたのです。
「孫が生きがい」と語る彼女にとって、生後間もない赤ちゃん(次女の娘)を強く揺さぶって虐待することなど、自分でも想像もできないことでした。一貫して無実を訴えましたが、結果的に彼女の供述も受け入れられることはなく、留置場での取り調べの後、保釈されるまで大阪拘置所に入れられたのです。
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生きがいである孫たちを抱くこともできず、何もしていないのに孫への傷害致死罪に問われ・・・。高齢の彼女にとって、冷房も暖房もないその場所での1年3カ月は、いかに過酷な時間だったことでしょうか。
山内さんは拘置所の中で、何度も死んでしまいたいと思ったそうです。家族はそんな山内さんを励ますため、拘置所へひんぱんに面会に赴きました。
そして、弁護団は控訴審で徹底的に闘い、亡くなった赤ちゃんの死因は虐待によるものではなく、病気の可能性が高いことを立証したのです。
「本当に、あきらめないでよかったですね・・・」
青木さんは、この日、無罪確定の報告をおこなった山内さんにお祝いの言葉をかけました。そして、二人は手を取り合いながら、喜びを分かち合っていました。
しかし、無罪を勝ち取った後も、かわいがっていた孫が突然亡くなった悲しみは、山内さんの心から消えることはないのです。