4月5日、神奈川県川崎市の麻生市民館で、「日本映画大学」の入学式が行われた。晴れて第1期生となる166人の新入生が入学式に臨んだ。
日本映画大学は、日本で初めての、映画だけを学ぶ4年制の単科大学だ。もともとは1975年に「横浜放送映画専門学院」として誕生した。設立したのは映画監督の故・今村昌平氏である。
その後85年に3年制の専門学校「日本映画学校」となり、2011年から大学に生まれ変わった。
「映画を作りたい」「映像の世界で働きたい」と考える若者の間で、前身の日本映画学校の名はつとに知られていた。日本の映画界を支える監督や撮影スタッフを多数輩出しており、2010年に映画賞を総ナメにした「悪人」の李相日監督、「十三人の刺客」の三池祟史監督も日本映画学校の出身者である。
おりしも、日本映画の復活が叫ばれて久しい。一時期は配給収入が洋画の半分以下にまで低迷した日本映画だが、2003年頃から勢いを取り戻し、2006年には約20年ぶりに洋画を上回った(日本映画製作者連盟の資料より)。
映画はエンタテインメントの一形態であると同時に、世界に向けた文化発信ツールという側面もある。日本映画が勢いづく中、コンテンツ産業の競争力強化という面からも日本映画大学の誕生には大きな期待がかかる。
佐藤忠男学長は入学式で、「今、我々は世界のあらゆる国と映画で会話できるようになった。その中で我々はどういう映画を作るのか。これは、チャレンジに値する課題だ」と新入生に語りかけた。
日本映画の現況、日本映画の特質などを、佐藤学長に聞いた。
高度な教養と学識が求められる最近の映画づくり
── 今までは専門学校だったわけですが、なぜ大学化することになったのですか?
佐藤忠男氏(以下、敬称略) まず社会全体が高学歴化したから、という理由があります。
元々ここは1970年代に日本の映画産業が壊滅的な状態になった時、今村昌平さんが、行き場のなくなった若者に「行くあてがないのならここに来い。撮影所と同じようなことをやっているから」と呼びかけて始まった学校です。