お世継ぎ問題が議論され、ヘルシーな食が重視されるという意味では、元禄時代は2010年代の日本社会に通じるものがあるようにも思われます。

 さて、こんな具合で、犬や猫にも食糧を分け与えるほど、江戸時代初期の60~80年ほど、日本の生産性は向上しました。

 なぜか・・・?

「新田開発」がその答えになります。

 すなわち、第1次産業が社会を支えていた封建期、経済を豊かにする本質的な要因は「コメ」を増産することにあり、端的にはそれは「田んぼ」を増やすことでした。

 もっとはっきり言うなら、河原や湿地に治水灌漑の農業土木工事を施し、食糧を増やすことが、経済成長の本質的な原動力となりました。

「〇〇新田」に注意せよ

 宗教改革で荒れた16世紀欧州は、新たな植民地を求めて全世界にキリスト教と坊主と武器を撒き散らし、各地で「戦国時代」が発生します。日本もまた例外ではありませんでした。

 そのようにして欧州をはじめとする先進地域から武器弾薬のテクノロジー、これらから身を守る石垣作りなどの新たな工法、治水灌漑を含む社会基盤のイノベーション、つまりソーシャル・インフラストラクチャーの世代交代が起こったことに注意する必要があります。

 秀吉は淀川をつけ替えて京都~大阪間に新たな物流圏と都市を建築しましたが、同様のイノベーションは日本全国で進められました。

 秀吉自身「一夜城」伝説が語られますが、実際、築城や治水の名手として知られる武将は数多く、藤堂高虎、小堀遠州などは土木工事から作庭まで様々な作品が現在も残っています。

 高瀬川、富士川、天竜川などの開削を行った角倉了以なども、まさにこの「火縄銃以降の土木テクノクラート」の典型で、従来は手に負えない氾濫平原であった莫大なエリアが、豊かな実りをもたらす田畑へと姿を変えていった。

 その素晴らしい「新田開発」で生まれた土地が、いま「グローバル気候変動」に伴う降雨量の絶対的な増加によって、「河」「沼」「湾」といった、その土地の本来の姿を甦らせているのが、いま発生している多くの大洪水の正体と考えることができます。