どうして文化が花開いたのか?

 豊かになったからです。端的に言えば経済的に余裕が出て、飢えて死ぬ人などが減ったこと、社会に余裕が生まれたことで、学問芸術が大きく花開きました。

 戦後の高度成長を除くと、日本列島で最大最高の生産性向上が見られたのが、徳川幕府初期の半世紀ほどでした。

 日本史の基本でありながら、教室で東大生諸君に尋ねてもあまりピンとこない大事なポイントの一つです。

 この時、どれくらい余裕ができたかというと、政府が司令を出して、野良犬を殺さずに食べ物を与えるくらいに、社会は豊かになっていた。

 これに先立つ延宝8(1680)年、3代将軍徳川家光の4男であった綱吉は、子がないまま早世した4代将軍家綱の跡を、やはり早世した兄綱重の代わりに継いで第5代徳川将軍となります。

 ところが、改元した天和2(1682)年に綱吉自身の子、徳松が5歳で病死、最終的に綱吉も後継ぎがなく、兄綱重の遺児である綱豊が「徳川家宣」と改名して6代将軍を継ぐことになります。

 このあたりから、将軍家の後継者払底という現実に直面して迷信深くなっていき、綱吉は世に悪名高い「生類憐みの令」を発令します。

「犬公方」と呼ばれる綱吉ですが、保護されたのは犬ばかりではなく、ネコ、牛、馬、鳥類から虫、魚や貝類にまで及び、コミカルな仕儀となっていきます。

 江戸城では鳥や貝類、エビなどを食材として供することが禁じられました。

 綱吉がどの程度徹底したヴィーガン(完全菜食主義)であったのか、正確なところは分かりません。

 しかし、少なくとも魚やエビ、カニ、鶏肉などを一切食さなかったことは、まず間違いないと思われます。