東日本大震災の被災現地に、トヨタ自動車と日産自動車のトップ、豊田章男氏とカルロス・ゴーン氏がそれぞれ足を運んだ。一応、その時期を記しておくと、豊田章男氏は3月27、28日に宮城県へ、ゴーン氏は29日に日産いわき工場へ。

 彼らのニュースと言動を見るにつけ、菅直人首相の現地視察と共通していることに思い至ってしまうのは私だけだろうか。

 菅首相はご承知のように、まず震災から十数時間後の3月12日早朝に自衛隊ヘリコプターを飛ばして被災エリアを上空から視察、東京電力・福島第一原子力発電所に降り立っている。その後は4月2日にやはり自衛隊ヘリを使って、甚大な被害を受けた現場の1つである陸前高田市の避難所と、福島第一原発から南に20キロメートルのところにある「後方支援の拠点」Jビレッジを訪れた。

 基本的に、こうした最上位者の視察は「行幸」になりがちである。つまりあらかじめ用意された段取りに沿って動き、準備された場所と状況の中で人々と言葉を交わす。その「段取り」はまず側近が粗筋を考え、現場に指示を出し、準備をさせたところに本人が降り立つ、ということになる。それはそれで「公式行事」としてはよろしい。

 しかし、今回は「非常時」に「総指揮官が最前線に立つ」ための行動である。そうした動きとともに現地で、また事後に語った内容が基本的に精神論に偏っていたことの方が、私としては気がかりである。少なくとも報道され、また首相官邸とトヨタに関しては、それぞれに公表されたコメントの内容によれば、ということだが。

このままでは年間で100万台の生産が消える

 ここまでの様々な災害対処を見守っている中で改めて感じていることがある。日本は「有事」が苦手だ。そしてリーダーから発せられるメッセージのほとんどが「命がけで」「決意を新たに」「がんばります」「がんばりましょう」といった心情的な言葉によってつづられ、しかし具体的なビジョンや方策がいかに策定され、実行されてゆくかは伝わってこない。

 その一方で、戦線は伸び切り、最前線での苦労は続き、そこまで資材や人、情報を送り込む「兵站(ロジスティックス)」は整備されないまま、日々が過ぎていく。この成り行きは、太平洋戦争における日本と軍の失敗として後々繰り返し見直しと分析が行われてきたあのパターンに重なってしまう。