『アニメンタリー 決断』の冒頭シーン

(佐藤 けんいち:著述家・経営コンサルタント、ケン・マネジメント代表)

 まもなく8月15日を迎える。終戦記念日である。「先の大戦」が「終戦」した日である。今年2019年で早くも74回目となる。毎年繰り返される行事であり、すでにルーティン化している。毎年繰り返されるお盆の時期と重なることもあり、ある意味では最初からそういう性格をもたされていたのかもしれない。だが、だからこそ重要な1日なのである。

 終戦は「敗戦」によってもたらされた。だが、「敗戦」の悔しさ、無念さよりも、「終戦」による安堵感のほうが前面に出ているという印象を受ける。なぜなら、国民の立場、とくに戦場ではなく銃後を守っていた一般庶民の立場からしたら、自分たちではコントロール不可能な大戦がようやく終わった、と捉えるのが自然なことだからだ。

 8月6日と8月9日の、広島と長崎に投下された原爆だけでなく、大戦末期から激化していた米軍による空爆は、東京や神戸などの主要都市だけでなく日本全国の都市を対象に実行され、戦闘員ではない一般市民までもが無差別かつ非道に殺戮された。「やっと終わった」という安堵感が「終戦」という表現からにじみ出ているのは当然といえば当然だろう。

先の大戦は負けるべくして負けたのか?

「終戦記念日」というが、本当は「敗戦記念日」というべきではないかという議論がある。「終戦」という表現では、日本が「敗戦」したという事実が十分に意識されないからだ。

 日本にとっての「先の大戦」である太平洋戦争(当時の日本政府は日中戦争も含めて「大東亜戦争」と呼んだ)は、1941年12月8日に始まった。開戦決定を行ったのは政府首脳である。しかし、政府を突き上げて戦争の方向に誘導したのは、紛れもなく日本国民の世論であった。日本国民の大半が、閉塞感を打破するために対米開戦を求めていたのだ。

 戦争開始当初、日本軍は連勝につぐ連勝であり、破竹の勢いで勝ち進んでいた。当時の日本国民はリアルタイムでそれを大いに歓迎した。たしかに、冷静に国力を考えれば、そもそも無謀な戦争ではあったことは否定できないが、最初から負けるべくして負けた戦争ではない。いかなる形で「終戦」に持ち込むかという「戦争計画」を欠いていたからこそ、破滅する寸前までいかなければ戦争が終わらなかったのだ。これは戦争指導の問題であり、大局観を欠いた指導層の責任である。

 このことを考えるには、「開戦」と「終戦」という劇的で瞬間的な出来事だけではなく、4年間にわたって続いた大戦のプロセス、言い換えれば個別の具体的な戦争そのものに即して考えてみることも必要だろう。