1517年、ウィッテンベルクの城教会の門にルターが「九十五カ条の論題」に貼りだしたことで宗教改革が始まった、と言われている(Wikipediaより)

 宗教改革は、1517年に、マルティン・ルターがドイツのヴイッテンベルクで「九十五カ条の論題」を発表して、カトリック教会の贖宥状のシステムを批判したことから始まったとされます。ルターの批判は一大センショーションを巻き起こしますが、その4年後の1521年に神聖ローマ帝国皇帝カール5世が招集したヴォルムス帝国議会で、ルターは異端者だとされ、帝国の保護外に追放されただけではなく、その著書の販売・購読が禁止されました。帝国議会は、ルターを殺害することまではしませんでしたが、彼を完全に法の枠外に置いたのでした。

 このヴォルムス帝国議会を一つのきっかけとして、カトリックとプロテスタントによる宗教戦争が始まることになったのです。カトリック側は、プロテスタントに対抗するために「対抗宗教改革」をおこないます。

 このような動きは、宗教史・政治史の出来事として語られます。しかし、経済史・商業史から見ると、また違った見方ができるのです

市場が発達した時代

 ヨーロッパ商業史では、12~13世紀にフランス北東部のシャンパーニュで大市が栄えたことがよく知られています。ここでの大市は年に6回開催され、遠隔地から商品が持ち込まれ、大々的な取引が行われました。この大市の開催により、ヨーロッパの商業は発展します。しかし商業活動がさらに活発化すると、取引量は大市だけでは捌ききれないほどの規模に拡大してきました。そこで毎日のように「市」を開くことが必要になってきたのです。

 こうした要請に応えることができたのは、当時の北ヨーロッパでもっとも商業が進んだ都市のアントウェルペン(アントワープ)で、1531年に、他都市に先駆け、取引所(bourse)が作られました。

 アントウェルペンのすぐ後には、アムステルダムとハンブルクも続き、それぞれに取引所が設けられるようになります。その後も多くの都市で取引所が作られるようになりますが、そこで重要になってきたのが「どの取引所で、どんな商品が、いくらで取引されているか」が記された「価格表」でした。この価格表の存在があったからこそ、より多くの人が商業活動に参加しやすくなったのです。