我が大使館の発表さえ信じることができず、大使館に駐在されている科技庁(当時=現在は文部科学省)の原子力担当者の家族がどのように過ごすか、というのが我々駐在員の一番信頼できる情報となった。
チェルノブイリ事故で戦友となった日本人とロシア人
家内が大使館にフィンランド製ミルクの配給を受け取りに行った時に、当時のNHK小林和男モスクワ支局長にインタビューをされ、日本でもニュースの一部として放映されたビデオに、家内の不安な声が残っている。
その意味で、チェルノブイリ事故の中で子育てをしたロシア人と我々夫婦は、戦友だと言うこともできる。
放射能との戦いにおける戦友が今の日本に増えることは、大変な悲劇ではあるが、これを契機にして、より多くの人々が連帯して、原子力を考えるために大きな声を上げることが可能かもしれない。
母国の苦しみを外地で見て苦しむのは、必ずしも同胞だけではなく、同じ体験を持つロシア人でもある、ということを改めて学んだ。