実は学校以外の場所でも、私の親世代は、「教えない」のが標準的な接し方だった。結果を否定し、「どうしたらいいですか?」と尋ねても、「人に聞いて楽をしようとするな、自分で考えろ」と放置プレイ。何度やり直しても「だめだ! やり直し!」とだけ。

 私はこの「教えなさ過ぎ」を強く憎み、きちんと分かりやすく教える指導者になろう、と心に決めた。

 そして、私が指導する立場になったとき、別の困った事態が発生した。私の指導は微に入り細に入り、一から十まで教えるので分かりやすいと評判だったけれど、「指示待ち人間」になってしまうのだ。教えたそのときはできるのに、翌日にはきれいさっぱり忘れている。再度詳しく教えるとできるけれど、翌朝にはまたきれいに忘れている。

 その若者たちは、私よりも記憶力・理解力が優れていた。なのに「指示待ち人間」になってしまう。私の教え方は分かりやすいと評判なのに、ちっともその知識が根付かない。何か私の指導法に問題があるに違いない。

 結論として、「教え過ぎ」が「指示待ち人間」を作る原因だった、ということが分かり、指導法を大きく変更し、「教えない教え方」を実践するようにした。すると、若者たちは一度教えただけで業務のすべてを覚え、しかも自分の頭で考える人間に成長した。

 その方法については拙著で詳しく書いたので繰り返さないが、拙著ではいまひとつ言語化できていなかったことを以下に指摘しておきたい。

「イケア効果」で生まれる愛着と意欲

「教えない教え方」は、何のヒントも与えず、結果をダメ出しするだけの「教えなさ過ぎ」とは明確に異なる。考える材料を十分に提供するからだ。この違いを理解するには、「イケア効果」の話が分かりやすい。

 イケア効果については、最近、分かりやすい論考が紹介されている*1。それによると、次のような興味深いことがあった。

 水と混ぜるだけでホットケーキを焼ける、画期的なホットケーキミックスが開発されたものの、いまひとつ売れ行きが伸びず。そこで、ミックスから卵と牛乳の成分を取り除き、自分で卵と牛乳を混ぜる一手間が必要な商品を売り出したところ、爆発的に人気を博したという。

*1https://netsanyo.net/blog/1665