人とは違うことを「個性」にしてくれたサッカー
人種の違う両親の間に生まれた僕は、「ハーフ」と呼ばれた。(※前回のコラム参照)
幼かった頃の僕は、周囲の子どもたちとは違う外見がコンプレックスとなり、人との繋がりを持つのが嫌だった。人とは違うことを「個性」と受け入れる発想もなかった。
年齢を考えれば当然のことだ。そして、僕を傷つけた言葉を発した子どもたちもまだ幼く、彼ら彼女らの言動には悪意なんてなかったと今は思える。誰にも罪なんてないし、誰かを責めるつもりもない。
そんなとき、サッカーと出会った僕は、自分を表現する術を手に入れた。すべてを賭けてサッカーに熱中したことで、僕を悩ませていたコンプレックスが和らいだ。僕の代名詞は、他人と違う外見ではなく、「サッカー選手」へと変わり、日本人の中では、フィジカルの強さやスピードといった面でドイツ人の血を持つこと――「ハーフ」であること――が、役に立つことを知る。
放課後ひとりで遊ぶことだけが幸せだった子どもが、今、世界の広さを実感できるのは、サッカーと出会えたからだ。
日本で評価されたフィジカル能力。
ドイツで評価された高い規律意識やバランス感覚、周囲への配慮。
それらは、プレーするその場所において自分に自信を持たせてくれた。前者はドイツにルーツを持つおかげで、後者は日本で育ててもらったおかげだ。