本引き博打は、誰でもが胴師になれるわけではないから「組を辞めるためにシャブでヨレた」体を取る以外に方法は無かったのだろう。

 ちなみに、このO氏は、そのままツネポン(覚せい剤の常習者)になることなく、組抜けしたら直ぐにシャブとはキッパリと縁を切り、猛勉強をして牧師となり、刑務所に収監されている元同胞たちの相談役になっていた。

日本社会から麻薬が無くならない理由

 筆者は覚せい剤、大麻、合成麻薬など、様々な中毒者の方と、公私共にかかわってきた。「公的かかわり」とは更生保護就労支援であり、「私的かかわり」とは、アングラ社会の取材である。

 筆者がフィールドで感じたザックリとした感想で申し訳ないが、ツネポン(覚せい剤常習者)も、タマポン(タマにポンする使用者)も、社会生活上で何らかの不安や問題を抱えているように思える。

 もっとも、女性の場合は、男性から影響を受けるケースが散見される。なぜなら、シャブの販売促進担当には女性が利用されることが多い。悪い奴は、まず、女性をシャブ漬けにする。そうしておいて、彼女を通して寄ってくる男性に広めてゆく。これは一般的なシャブの販売方法である。だから、同時に、性病なども抱き合わせ販売されているのではないかと、密かに危惧するところである。

 一般の方の使用者に関してみると、未来への希望の有無、慣習的な社会や人とのつながりの濃淡、強弱と関係があるように思える。現代社会では、人は容易に孤立する。人生で一度つまずいたら再起は難しく未来への希望も色あせる。会社員だから、学生だから、主婦だからといって、社会的居場所があり、万事オッケー問題なしと考えるのは、ちょっとばかし早計ではないか。

 彼らは、そうした形式的な帰属集団で、日々苦痛を感じながら、必死になって自分の役割を演じているのかもしれない。苦痛は、やがて希望を蝕みながら厭世観へと成長し、社会的逃避の一環として覚せい剤に手を染めるのかもしれない。

 就労支援の現場で、調査フィールドで、筆者は幾度となくこうした事例を目にしてきた。人間は社会的動物である。ひとりでは生きられない。現代社会を侵食する社会的孤立などの問題は、人にとって、日本社会にとって、覚せい剤よりも問題視すべき根本的な社会病理であるように思えるのである。

 次回は、筆者がアングラな取材現場で見聞きしたシャブの魔力について、拙著『組長の妻、はじめます。:女ギャング亜弓姐さんの超ワル人生懺悔録』(新潮社)、『組長の娘―ヤクザの家に生まれて―』(新潮文庫)の主人公たちの証言をもとに、生々しくリポートする。

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『シャブにまみれたオンナたち 日本のシャブ事情(後編)』
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56271