ウッドストック・フェスティバル50周年記念イベント、来年8月に開催

米ニューヨーク州ベセルのベセルウッズ芸術センターの敷地内にある、1969年にウッドストック・フェスティバルが開催された場所(2008年5月28日撮影)。(c)Emmanuel DUNAND / AFP〔AFPBB News

 新元号、あるいは新年度で、何かお祝いムードも感じられますが、そんな中で、コカイン汚染で逮捕された芸能人が起訴との報道がありました。

 私が長年部屋を借りているベルリンにも、クロイツベルク街区など、私にはあまり馴染みのないエリアにテクノのメッカがいろいろあるようです。

 さて「テクノといえばドラッグ」というのは「パンにバター」「寿司にワサビ」あるいは「ザルそばに切り海苔」「トムにジェリー」でも何でもいいです、ワンセットなので、今頃になっていきなり、という観がないわけでもありません。

 関係者を大量摘発か?

 といった推測がありましたが、要はどこまでやるかだけの問題ではないでしょうか。薬物は、供給源を捜査するために、あえて逮捕せず「泳がす」ケースも少なくないように聞き及びます。

 私自身は、ドラッグもダメなら音楽を切り離したテクノカルチャー全般も全くダメの、古臭いクラシック音楽畑の人間です。とはいえ、いろいろな経緯で特に1980年代後半、東京の「クラブシーン」は少しだけ記憶していることがあります。

 また、そうしたクラブの背景には長い歴史も存在していて、いま目の前に暴かれているのは、あまりに当たり前のことに過ぎないとも思います。今回はそういった源流を探訪してみましょう。

 とりわけ1994年に英国で成立、施行された「反テクノ法」(クリミナル・ジャスティス・アクト1994)を中心に検討してみたいと思います。

クラブ・カルチャーはクスリと共に

 「クリミナル・ジャスティス・アクト」は1994年、ジョン・メージャー内閣のマイケル・ハワード内相によって提案されたもので、「レイヴ禁止法」などとも呼ばれることがあります。

 本稿で最初に強調しておきたい重要な点は、すでに1994年、つまり25年も前の時点で「レイヴ」は英国政府によって規制される対象であったという事実です。

 理由は「音楽」ではなく「カルチャー」、端的にいえば「セックス&ドラッグ」への規制です。

 「レイヴ(Rave)」とは。ジャマイカ系移民の俗語で「本当は気乗りがしないのに無理に盛り上がる」といった意味合いを指すといいます。

 実際、1980年代中後半、現在の意味での「レイヴ」が英国で発生した背景には、都市で圧迫された社会下層のフラストレーションを発散する、新しい解放区としての意味合いがあったように思います。